一人ひとりまだらに違う心を見つけて寄り添うこと。事象の変化からインサイトの本質を見抜く人材育成コンサルタント山本直人さん第二弾

  • 関東

常に社会の変化を見つめ、事象の本質を問い続ける山本直人さん。2019年9月に「『事象の意味』を深く考える人が機会を拓く。 新たな時代に呼応するマーケターを育てる人材育成コンサルタント山本直人さん」で、ご経験を基にマーケターのあり方を伺いました。マーケティング戦略も働き方もまるごと変化を迫られる今、点と点を見つめ、線や面で俯瞰的に本質を捉えるための視点と思考法をがっつり教えていただきました!

あらゆる抽象度で定点観測すると変化がわかる。

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コロナによる影響と人々のインサイトについてのレポート」見ました。消費者のインサイトを的確に捉えられているレポートで、いちマーケターとして非常に参考になりました。私も先生のようにユーザーのインサイトを鮮やかに読み取れるようになりたいです!

働き方や消費の変化などコトに着目する意見が市況を賑わせているなか、山本先生は消費者インサイトの変化にポイントを置くことで、ヒトの心理をわかりやすく分析されていました。レポートの結論「声高になるのではなく、ていねいに『今とこれから』について対話を始める」に至るまでの先生の思考の過程を伺いに来ました。

新型コロナウイルスが話題になりはじめた2020年2月、先生はどのような変化を感じていましたか?

yamamoto

私は毎朝BS-1のヨーロッパ圏のニュースを見ることが習慣なのですが、基本的に各国が様々な話題を取り上げていて、トピックが同じになることはほぼありません。ところが今回はどの国も新型コロナウイルスのことを取り上げていたので、「何か起きるな」と感じました。3月にヨーロッパがロックダウンした時には、中世への揺り戻しが来るなと思いましたね。

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中世が戻ってくる…一体どういう意味でしょうか?

yamamoto

ヨーロッパの中世って城壁で区切られていて移動の自由が制限されていましたよね。今でも中世からの城壁が残る街もあり、ロックダウンという発想がなじみやすいようですが、まさに中世だと感じました。

外出制限に伴って消費も行動も最低限生きていくための活動だけが残っていくと、中世のような状況になり、現代の経済社会の大半を占める商品・サービスは「実はなくてもいいのでは…?」と考えてしまうわけです。

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たしかに、コロナ禍で厳しくなっていると言われる業界やサービスを考えると、近代以降に伸びていたものが多い気がします…

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もう1つ、観察していたのは馴染みのコミュニティの変化です。公演が中止になった舞台役者のSNSを見たり、近所の飲食店で資金繰りを聞いて相談に乗ったり。身近な情報交換を通じて、見えない脅威への怖がり方は人によってバラバラなんだと直感的に理解しました。

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たまたま見聞きしたというよりは、意図的にフラグを立てて情報を取りに行っていたのでしょうか?

yamamoto

そうですね。私は元から会社勤めじゃありませんから普段から家の近くにいることが多く、見知った飲食店や地元の人たちを常に観察していました。行動範囲が狭くなってしまう分、外に出る機会があれば現場の声を聞くように意識していましたね。

大学の講師も勤めていて、授業で毎年4月に「最近の自分の買い物をひとつ選んで、なぜそれを買ったのか?」を学生に考えてもらっています。そこで学生が挙げるものから景気状況が分かるんですよ。ここ数年は首都圏の労働力不足を背景にアルバイトの賃金が上がっていたから、海外旅行に行く学生や高いものを買う学生が多かったです。ところが今年は巣ごもり状態ですから、楽器や小麦粉を買って自宅で快適に過ごそうとする学生が多かった。

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近所の飲食店・趣味の観劇・大学の授業など、どれも先生が普段から接しているものですね。SNSやニュースで広く情報収集するにとどまらず、同じものを定点観測し続けるところがポイントなのかなと思いました。

yamamoto

普段の様子を知っているものだと気づけることは多いですね。そもそも、そういう人や場所は観察云々を抜きに心配したり気にかけたりしますし。

ただ、一歩引いた目で定点観測できることもあります。リーマンショックや東日本大震災と比べると、経済的打撃・失業率はリーマンショックのほうが大きかったように感じます。

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「国単位の脅威」でくくられたものの差を観察すると。おどろくほど高い抽象度で見ておられるのがよく伝わります…!

東日本大震災と一番違うと感じたのは何でしょうか?

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人のマインドです。震災では亡くなった方への追悼、悲しみ、助け合いがありました。もちろん今回も悲しみのマインドはありますが、どちらかというと恐怖が大きい。

当事者やその遺族にフォーカスしにくいのは側にいられない感染症の特性もありますが、感染者数や死亡者数など、被害が日々数字としてデジタル化されて顔が見えなくなっている一面はありそうですよね。

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たしかにニュースでは恐怖を煽るトピックや、若者と高齢者の対立構造を映すものが多かった印象です。

つい視野が狭まるところ、マクロとミクロの視点をバランスよく使い分けて考察されているのがよくわかります。

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リーマンショック以前は近所の店でよく一緒になっていた常連が来なくなって、店主に聞いたら地元に帰っていた、という話を聞いたのを覚えています。マクロの視点で見るときも、ベースにはミクロ視点で感じたことがある。

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リアルで見聞きしたものって、n数が小さいからと過小評価しがちですが、世の中の流れが反映されたものに違いないし、そこから読み取れることは多いですね。

ミクロの視点では自分ごと化できることが定点観測のフックになると考えると、熱中できる何かを持っているかどうかはマーケターの資質とも言えそうです。

人それぞれ楽しみを見出す時代。大きな物語ではなく、一人ひとりに寄り添うメッセージを

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コロナ禍を軸に意見をまとめようとして、私は変化があまりに多く切り口に混乱してしまいました。問題の本質を見極めきれなかったというか…。生活・働き方・家族との過ごし方とあらゆる面で変わりましたよね。その中で、先生がインサイトを軸に考えを深めていった意図をお聞きしたいです。

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ステイホームが推奨された4月の平日に近所の公園を散歩していて、子どもをベビーカーに乗せた若い夫婦を何組も見ました。その時、直感的に「いま、この人たちは幸せそうだ」と思ったんですよ。会社に行けなくなったり外出が難しくなったりする中でも、こうやって何かしら可能性を感じて幸せを見つけている人は少なくないのだろうと。

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たしかに、生活するうえで制約は多くなったものの、こんなに家族と過ごす時間が長いことは今後ないなと感じましたし、メディアで言われているほど幸福度は下がっていないかも…

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個人個人の生活に立ち返るというのが1つのメッセージになると思い、「まだらになっていく」としました。これまでのように一斉に一方向に誘導するマーケティングや広告はますます厳しくなりそうですね。

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テイクアウトで客層が広がった飲食店もありますし、女子高生はアベノマスクをデコレーションする。実のところ個人はタフで、それぞれ楽しみ方を見つけています。一方、メディアは怒りや苛立ちを増幅し広げたがる。メディアのあり方も問われていきそうですね。それぞれが楽しみを見つけているのだから、無理にそれらしい世論にまとめてしまうのではなくて一つずつ肯定してあげたい。

「もう元には戻らない」とロジカルに言ったところで誰も明るい気持ちにはなれないのだし、元に戻したいという声があるならその気持ちも大事にしてあげたいよね。「ライブで5万人一緒に大声出したい」という人には「いつかそうなればいいね」と言ってあげたい。

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たしかに「元には戻らない」って言葉は後ろ向きですよね。新しい時代を考えるなら未来志向のほうがいいし、いつかまたみんなで心置きなく集まれる日が来ると願いたいです。

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例えば甲子園大会の中止。続いてきた物語がなくなっても、球児一人ひとりの人生は続いていく。メディアや広告は、そういった小さな物語を再発見して紡いでいかなければなりません。

ただ、こういう話はどうしても地味に映る。なぜなら人は勝ち負けだったり半沢直樹のような分かりやすい話が好きだから。結果「コロナに負けるな」とどこか極端で自分ごと化しづらいメッセージが生まれてしまう。これからの時代のコンテンツは打ち出し方が難しいと感じます。

「本当に自分の意思で好き?」自分自身も俯瞰し正しいインサイトを探ろう

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最近は「会社に行きたいけど感染リスクが気になり行けない」「外食したいけど密だからできない」とインサイトと行動が必ずしも結びつかなくなってきていますよね。目で追える事象だけでは本当のインサイトを捉えづらいと私は感じてしまいます。先生はどんな見方をしているのでしょうか?

yamamoto

人の行動を2つに分けています。1つは自分が明確な意思を持って好き・お金を払いたいと思うもの。もう1つはただの習慣になっているもの。

実は、「自分が本当に意思を持って選択しているもの」ってすごく少ないんです。コンビニでお茶を買うとき、絶対このお茶が良い!という人は少ないですよね。なんとなく最安値を選びませんか?

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い、言われてみれば…?

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もちろん、圧倒的なファンを持つブランドもあるのですが、ほとんどのもののブランドロイヤリティはそれほどでもない。

コロナ禍でも変わりません。この人は、行きたい場所へ行けないのを我慢して苦しんでいるのか、代替があれば実は満足するのか?

いろんな飲食店を観察していても、本当に好きなお客さんは買い支えていますし、逆になんとなくの習慣や人付き合いで行っていただけの場所は厳しそうにしています。

例えば私はコンサートや芝居が好きで、いろいろな劇場の様子をみていますが、どこも席数をへらしています。ただ、宝塚歌劇団は席がちゃんと埋まる一方、歌舞伎は厳しい。

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客層に高齢者が多いからでしょうか?

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元々歌舞伎は社交場ですから、全員がファンというわけではないんでしょう。リスクを負っても行きたい!と突き動かされる割合がじつは多くない。逆にロイヤリティが高いと、こういう時だからこそ私たちが支えなければ!と考える人が多くチケットはちゃんと売れる。

外出自粛や休業が解除されたときにまずどこに行くかで、本当に選ばれていたのか習慣だったかがこの数か月で明らかになっていくでしょう。

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習慣はある意味惰性とも言い換えられますね。自分の買い物や食事を振り返っても、こだわりを持って選んでいるものって本当に少ないです…

自分の行動が本心か習慣か、俯瞰して見るのはなかなか難しい気がしてしまいます。先生はいつから意識していましたか?

yamamoto

学生の頃、クラシック音楽が好きでレコードを買っていたんですが、本当に聴きたくて買っているのか、仲間に見栄を張りたくて買っているのか、疑問に思ったことがあったんです。

それを当時の先輩に話して、「いくら好きでも見栄の要素はゼロじゃないだろ?」と言われてから改めて考えると「これを持ってる」とか仲間に言ってみたい自分がいることに気づいて、そこから自分を含めて人の行動に関心を持つようになりました。博報堂で広告の仕事を始めてからも「これ、みんな本当に欲しくて買ってるのか?」と思うわけです。やがて自分だけでなく、他の人もよく分からないままものを買っていることが多いんだな、と気づきました。

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この話って、サービスや商品だけでなく人付き合いでも同じですね。本当に話したくて飲みに誘っていた人と、なんとなくノリで呼んでいただけの人と。

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気が乗らない飲み会を断りやすくなってホッとしている人も多い気がします。移動の自粛でお盆の帰省ができず残念というニュースを見ますが、実はこれも旦那の実家に行かない理由ができてホッとしている人も多そう(笑)

マーケターが考えたほうがいいのは、一度なくなった習慣が戻るか変わるか。コロナ禍による所得減少も予測されますが、その時まず見直されるのはなんとなくの習慣です。習慣に依存していた企業やサービスは打開策なしには厳しいでしょう。

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この数か月で、広告で打ち出されるメッセージも変わってきましたね。気になった広告はありましたか?

yamamoto

ポカリスエットの広告は話題になりましたね。よくできているなと感じました。

https://pocarisweat.jp/cmgraphic/pocarisweat/

印象に残った広告を大学生に聞いてもよく挙がりました。ただ、当然ブランドは継続あってこそで、ずっとポカリスエットは若者を応援していたから自然だった。仮に他のブランドが同じ広告を打ち出しても同じにはならなかったでしょうね。

働き方をフックにしたCMも多く見かけました。一部のリモートワークを実施している企業が、マジョリティのように働き方を全面に打ち出してしまっていたのは、違和感が残りましたが。

新しい働き方を提唱しているように見えて、自社サービスを売りたい思惑が漏れてしまっている広告はSNS上で賛否両論でした。ブランドの認知と受け手がどう感じるか、これまで以上にバランス感覚が求められますね

リモートワークは1つの福利厚生でしかない。大切なのは「働く意味」の追求と孤立しないこと

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今回をきっかけにリモートワークを導入した企業も多いですが、新しい働き方を考えるタイミングが来ていますね。

yamamoto

問題の本質を分解すると、今の流れは「オンラインでもできる」であって、それは企業にとって代替手段でしかありません。

今問われているのは、何のために組織として会社を作っているのか、働くことで何を生み出すのかという目的の部分です。「自宅でもOK」というのは、多様な働き方を支援するための、物理的な福利厚生の話ですよね。このあたりがごっちゃになって議論されていて、構造の整理が必要だと感じています。

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リモートワークの是非で議論が終始してしまっては、手段の目的化ですよね。ただ、働き方が急激に変わっている会社も多く、近視眼的な思考に陥りやすいとも感じます。リモートワークをさも共通の話題のように語る人も多いですが、たしかに課題の本質は組織によって違いますよね。

yamamoto

リモートワークがある程度浸透したことで、仕事には完成図が見えていてブロックのように組み立てるレゴ型と、方向性だけ見えていてチームみんなでぺたぺたと作っていく粘土型の2種類があると改めて思いました。

レゴ型の仕事はオンライン会議との相性が良い。指示も出しやすいですし。一方粘土型の仕事はオンライン会議だけでは難しい。方向性を話し合う組織戦略や新規事業の話は、明確なアジェンダがあるわけではなく、偶発的なコミュニケーションの中から創発されることも多いですからね。オンラインでもできなくはないが難易度は上がるでしょう。

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レゴ型と粘土型、わかりやすい…!新しいものはなんでもない会話やふとした隣のチームの会話を聞いてひらめくような感覚です。

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と言っても世の中の仕事の8割くらいはレゴ型にできるはず。レゴ型にしてしまうと仕事がなくなってしまう管理職が多い企業は、働き方の改革が進まないかもしれませんね。

ふんわりと「このへんでいきましょう!」と役員が言うだけの会議とか、部下の提案に対して「本当にこれでいいの?」「よし、じゃあ行け」という仕事、割とあるじゃないですか。合理的に仕事をレゴ型と粘土型に棲み分けできる会社とそうでない会社が分かれてきているように感じます。

それと、リモートワークの危険のひとつは孤立することです。

孤独と孤立は全く別物です。適度な孤独は人の思考に必要で、心地よさにもなり、再度つながることもできるでしょう。孤立は英語でisolateですから、一時的な心情ではなく本当に、他者との関係が切断された状態です。

オフィスは自分で集中する場所に行ったり、イヤホンをしたりして適度な孤独を味わいやすい。ところがリモートワークで強制的に社員がバラバラになることで、孤独ではなく本当に孤立してしまう危険があります。

孤立は論理ではなく感覚的なものですから、孤独と孤立の境界線には個人差があります。「孤独はいいけど孤立を感じるなら息抜きで出ておいで」と言ってあげるだけで全然違いますね。

いつか来る収束に向けて今から理想論を描こう。課題の本質を見失わない考え方とは?

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自宅の環境や家族の状況など個々の事情が違い、働き方を強制するのも違う気がして、組織としてのジャッジが難しいですよね。

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まず理想論を決めてしまう。そしてそこに向かっていくのがいいですね。いつ実行するかはいったん置いておいていいから、まずは今後どうするかを決めておいて、その中でコロナ禍や周りの状況に合わせた暫定処置を考えていく。

歴史を遡ると第二次世界大戦のときも、戦後日本をどうするかを連合国は終戦よりずっと前から練っていました。今回のコロナ禍も言ってしまえば一緒です。

「いつか、この戦争が終わったとき組織はどこへ向かっているか?」は収束を待たず今から考えておく。青写真を描かないまま、目の前の次々に出てくる課題に都度対応していても、モグラたたきは永遠に終わりません。マクロ視点で理想像を用意し、ミクロ視点で個々の問題の対応を考えていくことで、議論がぐっとスムーズになりますよ。

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もちろん個別の対処も大切だけど、その根幹に理想があれば未来志向で議論ができますね!

その例えで言うと、東日本大震災に関しては今が「戦後」にあたりますよね。当時も先生は「震災後の生活と新たな機会」というレポートを出されていました。当時考えていた通りになったことや、逆に実際には違ったことをお伺いできますか?

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環境やエネルギーへの意識に関しては、予測通り高まりました。一方で消費行動においてより社会性が強くなると言っていたことに関しては、そこまで進まなかった印象です。

クラウドファンディングは社会的文脈の強いお金の使い方として震災をきっかけに広まり、コロナウイルス関連の支援にも使われていますね。ただ、日々の消費にも社会性が求められていればタピオカは流行らなかったはず。タピオカは、インスタグラムにアップして承認欲求を満たすための消費と言えます。

そういった消費は端からはどうでも良く見えるけど、間違っているわけではない。別の見方をすれば経済が順調に循環している証拠とも言えます。それに今はそれぞれが次の日常を探っている段階ですから、画一的に「社会的意義のある消費を」と声高に掲げるのも違います。

ただ、私たち一人ひとりが人とのつながりについて考えるようになったのは確かです。今は自分たちの生活の在り方を考え直しているところですが、今後、人どうしのつながりや助け合いが希望につながっていくのではないかな。

アナグラム編集後記

数か月前のご近所の様子について伺っていたはずがアメリカの話題になっていたり、はたまた「そういえば」くらいのテンションで第二次世界大戦の話が出たり…山本先生の目には世界中がひと続きに映っているのだなとつくづく感じた取材でした。

それでも、「それってどう見たら分かる?」までお話しいただけたからこそ、その視座の高さに「だめだ、全くついていけない」と絶望するのではなく、「だからマーケティングって面白い」と心が弾む感覚でした。

この数か月間、めまぐるしい変化の中で何か新しい視点を持たねば、という気持ちがどこかありました。ですが今回、先生の思考回路を垣間見れたおかげで、マーケターとして見るべきもの・考えるべきことは変わらないのだと気づけました。とはいえ、”見続け、考え続ける”ことが何より大切で難しいのですが、どんな状況下でもそれをこなしていらっしゃるのが山本先生のすごさなのだとも思います。

コロナ禍の収束がいつになるのかは分かりませんが、いつか来るその時にまた、今回お話しした見立ての振り返りがしたいです。

取材:米田 早希/高梨 和歌子/賀来 重宏/阿部 圭司
文 :米田 早希
編集:高梨 和歌子/賀来重宏
写真:賀来重宏