「事象の意味」を深く考える人が機会を拓く。 新たな時代に呼応するマーケターを育てる人材育成コンサルタント山本直人さん

  • 関東

慶応義塾大学卒業後、博報堂に入社しコピーライター、ブランドコンサルティング、人事部と多岐にわたる役職を経験され、独立後の現在は人材育成コンサルタント、ブランドコンサルタントとして大学講師や企業向けに「マーケティング基礎講座」などの数多くのセミナーを開催。マーケティング全盛期の時代を生きてきた山本直人さんに昨今のマーケティングとマーケターのあるべき姿についてお話を伺いました。

マーケティングと働くことは表裏一体。2つを掛け合わせることで生まれた「人材育成×マーケティング」という仕事

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山本先生には昨年から今年にかけて弊社のマーケティング研修、および合宿でのマネジメント研修を行っていただき多くを学ばせていただきました。今回は取材という形になりますがぜひよろしくお願いします!

まず経歴に慶応義塾大学法学部卒業とありましたが、そこからマーケターとしてご活躍されるまでの経緯を教えてください。

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はい、よろしくお願いします。

学生時代は政治学科に在籍していて、選挙の分析・予測のため統計学を勉強していました。

今は考えられないと思うんですけどね、当時はパソコンがなかったから統計をするには大学に置いてある大型コンピューターに何千枚とパンチカード(※1)を入れるんですよ。古いデータはカードが湿気っていたりしてエラーを起こしちゃうし、今思うと相当原始的な方法でやっていましたね。

(※1)コンピュータに命令やデータを読込ませる方法の一種。パンチカードをコンピュータにかけて,電気的または機械的に検出する方式。(出典:コトバンク

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パ、パンチカード…?想像するにデータひとつを取り扱うのも相当大変だったことでしょうね…。博報堂に就職を決めた理由も統計学を活かした仕事がしたかったからでしょうか?

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理由は3つですね。一つ目はゼミでは世論調査を持ち前で分析したり、新聞社と提携していたりして、そういう研究が好きだったから。二つ目はまだデジタル広告が存在しない、マス広告全盛期で単に賑やかな感じがあったから。三つ目は母が広告研究会に所属していた名残で実家に広告の本がたくさんあり幼い頃から読んでいたので「広告」にはなんとなく関心があったからですね。

ただ、いざ新卒で配属されたのはクリエイティブ関連の部署で、そこではコピーライティングをやっていました。

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本来やりたかったのが統計などを踏まえた数字の仕事で、実際に配属されたのがコピーライティングという言葉の仕事だと考え方にかなり差があるようにあるように思いますが…?

両方を経験されて何か気付いた、学びを得たなと思うことはありますか?

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言葉と数字は広告の両輪だし、当時はとりわけコピーなどクリエイティブへの注目が高かったので、職場も熱気に満ちていて得難い経験でした。もともと文章を書くのは好きだったのですが、「事象の意味」を深く考えることはあらゆる仕事に活きると思いますね。

その後、統計やデータから事象の背景を知る仕事がしたい気持ちを抑えられず、研究開発局に希望を出して30歳の時に移りました。

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研究開発局では何をやられていたんでしょうか?そこからブランディングにどう関わるようになったのでしょう?

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ちょうどぼくが35歳くらい、2000年くらいにブランディング(ブランドマーケティング)が重要だという話になってきました。社会の成熟化から短期的な成果よりも長期的な関係構築へと比重が移り、それまでの経験が活きる機会になったのです。

そこで博報堂のブランドコンサルティングという新組織を作るのに兼務で参加しまして、共著で本も出版したりしました。ほんとうに色々やっていましたね。

ですが2001年にちょっと気が変わって人材育成の仕事がしたいなと。

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急に!どうしてですか?

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仕事をするうえで研究開発したものを「外に広めたい、教えなきゃいけない」と思うことが多々あったんですが、それをすぐに実行できないもどかしさがあって。「だったら自分が人事に行けばいいんじゃない?」と思い人材開発セクションに移りました。

そこから新人研修などの人材育成の経験を積んでるうちに、ゆくゆくは会社を辞められるかな?という感覚になっていましたね。

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そうなんですね。発見したことや学んだことを外に発信して社会全体の教養としていく山本さんの信念が感じとれます。

辞めるときは独立しようと思われたとか、なにか理由があったのでしょうか?

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入社式のあとで「定年まで38年ある」って言われてあらためて茫然としたんです。当時22歳であと38年も同じことを続けるには正直長すぎるなと思いました。

だからぼくの場合は半分経った40歳くらいになったらなにか新しいことをしようと思ってはいましたね。

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博報堂でマーケティングのスキルだけではなくて他者に伝達、育成するノウハウも身につけることができたので、それらを組み合わせると何かできるんじゃないかなって考えた時に「人材育成×マーケティング」にたどり着きました。

その時ちょうどキャリアのことや自分自身のブランディングについて本を書いていて、マーケティングと働くことが似ていると気付いたタイミングでもあったんです。

マーケティングは人がお金を使うときの行動分析で、働くことはお金を稼ぐときの行動だとすると二つは裏表の関係になっているのでマーケティングで人の行動を研究していたことが応用できるんですよ。

マーケティングのモチベーションの概念で例えると「広告がどう働きかけたら人は物を買うか」と「どう刺激を与えたらより良い働き方ができるのか」の心理的な部分が似ているんです。

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たしかに人が物を買うときも働くときも外的要因に左右された結果、内発的動機に何らかの影響を与えられて行動しますよね。その行動原理を見ていくとマーケティングでの応用が利くことにも納得がいきます。

具体的に人材育成マーケティングとはどのようなことをされていますか?

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依頼を受けた企業の社員にインタビューして、その人が内発的にどういう動機を持っているかをもとに適した社内制度を一緒に考えたりします。人の内発的動機は機会がない限り話すことが少ないので、第三者が直接インタビューする方法が一番効果的なんです。

例えば若い方だと「仕事は仕事」と完結している場合が多いですが、30代半ばの女性で出産経験された方ですとやっぱり考え方が全然違います。後者はプライベートの変化で人生観が変わり価値観も変化していますし、また価値観は将来的にどういう風に生活がしたいかに繋がって、結果その人の仕事の仕方に影響するんです。

なので言い換えるとこれもブランディング構築と同じことで「将来こういう生活をしたいからこれを買います」っていうことと潜在心理が同じなんですよ。

誤配から誤読の時代へ。ブランドの意思が伝わらなくなった現代のブランド戦略とは

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企業のブランディングも多く手掛けられているとお聞きしましたが、その中でマーケティングはどう変わってきたのでしょうか。

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マーケティングという仕事には「言葉の仕事」と「数字の仕事」、ふたつの側面があります。 言葉の仕事とは価値を作ること、数字の仕事とは効果と効率を向上させていくことだと考えた時に、高度経済成長期から安定成長期に入ったころの日本は製造現場の数字はしっかり管理して改善していたけど、広告の数字に対しては神経質ではない、かなりゆるい状態でした。

広告を出すことを「手紙を出す」に例えて考えてみましょうか。かつてのマス広告は一生懸命いい手紙を書くんだけど、「届け先はこの町全部にザクっと配っておいて!」と誤配だらけだったわけですが、それでもどうにかなっていたんですよね。

「誤配の効用」で想定していなかった意外な人がその商品を買うようになったりする現象もありましたが、いわば企業側は誤配を含めて手紙を出していたわけですし、効用があったから広告に関しては特段数字にこだわらなかった。

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そのあと低成長の時代になり、デジタルの時代を迎えると誤配は劇的に減るわけですよね。メディアの誤配がなくなった分、立派な招待状をいれるよりも「お得だよ」とか「面白いよ」などと謳って貰い手に「なんだろう?」と注意をひくようなものがぎっしりと入るようになった。さらには、とにかく手紙の量が多いために勘違いが起きてブランドの伝えたいことが伝わらない時代になったんです。

つまり「誤配」から「誤読」の時代になってきたのでしょう。

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今は以前より1コンテンツあたりにかける時間も減ってきているので、一つ一つじっくり時間をかけて内容を理解して、検討…ということは段々しなくなってきますし。

世の中にいろんな広告やコンテンツが溢れかえっているから全部見ている時間はないし、取捨選択せざるを得ないんですよね。

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そうですね。そうやって読み手が自己解釈して読み流すから、企業が意図したようなブランドイメージを作ることが難しくなってきました。

ここ近年では“炎上”という言葉が話題となっていますが、誤読の極端な例ですよね。

炎上している案件って対象ターゲットに対して過剰に思い入れしていることが多くて、企業は受け手に想いを一生懸命に伝えようとするうちに”深夜に書いたラブレター”みたいな広告ができ上がってしまい目に留まった受け手に「なにこの人、気持ち悪い」と思われてしまっているんです。

こういったことは意図的にブランドと消費者におけるコミュニケーションで情緒的な絆を作ろうとするために起こることが多くて、企業は最初から誰かを馬鹿にしようと広告を作ってはいないので送り手にとっては受け手の「誤読」なんですが、それはもはや誤読とは言えなくて、受け手に読解を委ねるようなものに仕上がっているから仕方がない。

そういった意味で解釈を相手に委ねていくとなると、消費者のほうがブランドを作るってことになっていきますし、究極は企業側が消費者に対して”こう思ってほしい”という、半ば願望的なものは辞めたほうがいい、となってくるわけです。

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ブランドが当たり障りのないことを言うと印象に残らず受け流されてしまうし、想いを込めすぎると逆に目立って炎上してしまう…難しい。
これからの時代に誰が読んでも間違いなく伝わるような広告は作れないんでしょうか?

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そうですねえ、企業に何が残るかっていうと、まず「ファンクション」に立ち返ることになる。やっぱり美味しいものとか、格好良いものとか、信頼できるものっていうのは消費者にとって有益な情報だから残っていくんですよね。

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ブランドの真髄をいかにアピールするかですね。消費者に企業の想いが届きづらいこの時代にブランディングが成功した事例はあるんでしょうか?

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意表をつかれたのはAmazonの犬が出ていたCMですね。

これはAmazonのファンクションを前面に出したCMなんですよね。ただ可愛いというだけではなく、翌日にすぐ届く便利さや、犬用のウィッグ?のようなニッチなものも買えることを「Amazonはあなたを幸せにしますよ」と情緒的なことは表に出さず受け手に解釈を委ねた。これがギリギリよかったのでウケたんでしょうね。

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たしかに話題になりましたよね。男性と犬のシーンは印象に残っていましたが特段嫌な感じはしなかったですし、むしろ好意的に捉えてました。

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あのAmazonのCMはファンクション以外にもウケる理由があるんです。

ひと昔前に「広告を作るときに困ったら3Bを使え」って言葉があって「Beauty=美人、Beast=動物、Baby=赤ん坊」なんですが「Beast、Baby」をおさえているので、実は鉄板なんですよ(笑)

ファンクションをおさえて、3Bを活用し、無理やり情緒的な価値を作らないことを徹底したCMだと思います。これが「誰かに振られちゃった子が…」という設定だと炎上したかもしれませんね。

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考え抜かれたポイントが目白押しですね。それでいうとAmazonのこのCMは消費者との距離感が絶妙なように思えますが、これからの広告と消費者との距離感に正解ってあるんでしょうか。

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ひとつ言えることは広告を作るうえで過剰な情緒的価値を作ろうとしないこと。マーケティングにストーリーは大切だとしても、あまり「大きな物語」に固執すると過剰になり、かえって受容されなくなると感じてます。

今のような手軽に多彩な映像を観られる時代になってくると広告コンテンツに情緒的感動はかつてほど求められていないんじゃないでしょうか。

「感動したいな」と思えばNetflixやAmazonプライムを始めコンテンツは山ほどあるわけで。そういった意味では広告ができること、というか企業ができることをわきまえないとダメですね。

スターウォーズで例えると反乱同盟軍と帝国軍。自分がどっち側にいるかわかっているマーケターが生き残る

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弊社でも「マーケティングの一般教養」の文脈から勉強会を開催いただきました。マーケターとしての一般教養を身につけていることはもちろんですが、他に挙げるとしたらどんな特性のマーケターが生き残っていくと思いますか?

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今までだったら人間に対する関心だと思っていましたが、それだけではだめだと思うようになりましたね。マーケターとして人間の行動に関心を持っていること、それは大前提ですが、社会のためとか公共性とかそういうことを考え抜くような社会貢献型の人か、冷徹で利益を最大化するような利益追求型の人かどちらか極端な人じゃないとダメなんじゃないかなと。

会社に身を置いている場合、自社の利益を最大化するために動くのは当然なんですが、社会貢献型は「ただモノを売るだけじゃなく世の中全体が変わるようなことをしたい」志をもっている人で、利益追求型は「ゲーム感覚で数字が面白いと思える」好奇心を持っていて裏をかくとか抜け道をみつけることに容赦ない人。方向性は違えどもどちらも自分の目指しているところが明確なんですよね。

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例えるならスターウォーズの反乱同盟軍と帝国軍のような古典的な物語の二項対立の構図です。目的もわからないまま中途半端に仕事するよりも自分が今どっち寄りのモチベーションにいるのか分かっていたほうがいいですね。

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うんうん。とはいっても実務経験が乏しい新卒や学生のうちに自分の特性はなかなか分からないですよね。働いてみて「実は自分はどんな目的を持っていて、こうやってお金を稼ぎたいみたい」とだんだん分わかってくるんでしょうか。

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ほとんどの場合、働かないと分からないでしょうね。だから具体的に「こういう働き方もできるんだよ」と両方を見せてあげたほうがいい。

数字を残して会社を助けるのは素晴らしいことだけど、数字にもどこかで限界が来る可能性があるので一概にどちらがいい、悪いとは言えないんですよね。

自分に限界が来た時にもう一方の働き方やモチベーションの保ち方が分かっていたらダークサイドに落ちずに済みますから。ヨーダの言葉でこんなものがありますが、やはり恐れはよくない結果をもたらすのでこれは本当に言い得て妙だと思いますね。

“Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.”

恐れはダークサイドに通じる。恐れは怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは苦痛へ。

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この話はマーケターのみならず、経営者にも全く同じことが言えるなと思いました。ダークサイドに落ちないように気を引き締めないと(汗)

経験するだけでは価値がない。大事なのはその後自分で考え直すこと

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今マーケティングに携わる人やマーケターを目指す人はどういう情報収集をしていったら良いと思いますか?

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ぼくの場合、本を読むときにフィクションとノンフィクションを並行してバランス良く情報を仕入れていますね。読んだ本はExcelで管理していて、タイトル・作者・出版社・フィクション or ノンフィクションを入れて、時々バランスはどうなっているかな~とソートします。

やはりビジネス書は基本的にノンフィクションなので偏らないようにフィクションも読むことがすごく重要なんですよ。

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意図してフィクションの本を半分読むとのことですが、なにか理由はあるのでしょうか?

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ぼくは歴史って昔のことだと思っていなくてある種のパラレルワールドなんだと捉えています。その時代や歴史が描かれた古典の小説などを読むことで、時代を超えて今と似たような状況を客観視できるんですね。

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抱えている悩みと似たことが昔に起こっていたかもしれないと分かって気持ちにゆとりができると。仕事のための情報収集となるとついビジネス書ばかり読みがちですが、そうお聞きするとフィクションも読むようにと勧める理由もわかります。

「古典の小説」とありましたが、どれくらい昔のものがおすすめですか?

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百人一首なんかは大人になってからこそ、面白いですからお勧めですよ。本が苦手な人にはいつでも読めていつでも止められる短歌を勧めるんですが。出張とか旅に持って行っても飽きないんですよね。近代だと、石川啄木はすごいなと思います。40歳過ぎた頃からのお気に入りは老子ですね。逆説的なことが、真実を突いていて面白いんです。

“不出戸知天下、不闚牖見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人、不行而知、不見而名、不爲而成。”

部屋から出ていかなくても世の中のことはわかり窓から外を見なくても天の理は見てとれる。遠くに行けば行くほど道のことはますますわからなくなる。そういうわけで聖人はどこにも行かないでわかり、なにも見ないで明らかであり、なにをしないで成し遂げる

こんな言葉があるんですけど、この例で納得した事がありまして…。

学生さんを面接していると世界のいろいろな国へ旅したという人がたくさんいるんですが、あちこち行って見て聞いたことと本人の知性や見識は必ずしも比例しないんです。この言葉を知ったとき、ものを考える上で経験するっていうのはなんの価値でもなく、自分でそれを考え直すことだと気付かされました。

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行ったことが重要なのではなく、行ったときに感じる臨場感を自分ごと化できれば家にいても一緒だ、っていうことなんですね。この考え方を過去すでに老子が言っていたとは…すごい!要は頭の中で臨場感が体験できればいいってことで、これはまさにVRの世界と同じですね。

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よく「環境変えるとアイディアが湧く」と言ってカフェに行く人が多いですが、優秀なクリエーターさんは小さい部屋にこもっていてもすごいアイディアが出たりする。

それはなんでかというと頭の中が無限だからなんですよね。環境を変えたほうがうまくいくっていう人は自分の頭の内側を広げるのが足りないので、もっと自分の内部空間を広げることを考えなくてはいけない。

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これは仕事の取り組み方でも同じことが言えて、パソコンで例えると重要なのは情報を処理するメモリーで、ハードディスクだけがでかくてもダメだってことなんです。経験して情報をハードディスクに入れたとしてもメモリが小さいとなにも生み出せませんよね。

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情報処理能力の違いで仕事の仕方にも差が出てきそうです。昔は知識が活きた時代で覚えていれば大抵どうにかなっていましたが、今は知識に価値がない時代になってきましたもんね。

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そうなんですよ。情報をコレクションしていく癖の人はある程度まで行くと止まっちゃうことがあるし、損をすることもあるんです。今までは自分で考えなくてもできるルーティンな仕事環境がいっぱいあって稼働するメモリがしょぼくたってどうにかなっていたけど、情報もただ溜めているだけでは意味がなくなってくる。だからこれから生き抜いていくには情報を集めるだけではなくて自分の中で考え直すことが大事になってくるんです。そういうことを老子ははるか昔に言っているんですね。

アナグラム編集後記

世間の流れや情報を読み解いてきたマーケターとしての鋭い視点での意見はさることながら、個人の価値を高めるためにこれから必要なことを人材育成コンサルタントとしての視点から熱く語っていただきました。

マス広告全盛期からデジタル広告への過渡期にマーケティングに携わり知見の豊富な山本さんにだからこそお聞きできたことも多くあり、さらにはイメージが湧きやすいよう多くの事例や先人の言葉を引用しながらのお話はまさにヨーダの言葉のようでした。

山本さんの愛読書「老子」は迷ったときや疲れてしまったときに読むと心にゆとりができて良いそうですので、ぜひ読んでみたいと思います。

文:齋藤彩可
編集:阿部圭司/高梨和歌子
写真:齋藤彩可