飲食、アパレル、水道設備事業と異なる3つの事業を展開するオアシスライフスタイルグループを率いるのは、グループ代表の関谷氏。
空前のタピオカブームが訪れる前、台湾トップブランドのカフェ春水堂(チュンスイタン)を世界で初めて日本に誘致し、今では全国に19店舗以上の直営店を展開。その後、アパレル不況と言われる時代に立ち上げたWWS(ダブリューダブリューエス)は、コロナ禍にも関わらず売上アップを続けています。
関谷氏のファーストキャリアは、倒産寸前の実家の水道設備会社。成果がでない3年間の日々の末、なぜ水道設備会社の立て直しに成功したのか?そして、なぜ異なる飲食業、アパレル業への展開を成功させることができたのか?そこにはあらゆるビジネスに共通する普遍的な考え方が存在していました。
「これは間違ってしまった。」倒産寸前の実家稼業を立て直した秘訣は、上手くいくまで続けたこと
以前より、何度も春水堂(チュンスイタン)にお世話になっていました。さらにはWWSの評判もお伺いしていて、新宿のポップアップストアにもお邪魔したことがあります。それぞれ認知はしていたものの、全く異なる事業を1つのグループで運営されていると知ったときは正直驚きました。
ただ、関谷さんの社会人としてのファーストキャリアはご実家の水道設備事業だったんですよね。著書「なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?」の中で、大学卒業の直前にご実家から連絡があり水道屋を継ぐことにしたとありました。その時はどんなお気持ちだったのでしょうか?
「やりたくない」が正直な気持ちでしたよ。大学時代は自分たちのサークルを立ち上げ、大学内でもそこそこ有名な存在になりました。その経験もあり、実家の水道屋もなんとでもなるだろうと。実際は想像以上に大変で「これは間違ってしまった……」と思いましたね。
「やりたくない」という気持ちもあったとのことで、ご実家に戻らない選択肢はなかったのでしょうか?
当時は他にやりたいことがなかったんですよ。サークル運営の延長でイベントオーガナイザーや、IT企業に就職しようとか考えたことはありましたが、「これじゃなきゃダメ」というほどではなかった。
もともと実家を継いでほしいというお話があったのですか?
子どものころから「家業は継がなくていい」と言われていました。良い意味でずっと放任主義で育ててもらっていたんですよね。迷惑をかけても怒られないし、大学で留年しても仕送りを続けてくれていました。
そんな中で大学卒業前に突然父が倒れ、初めて「栃木に帰ってきて欲しい。仕事を手伝って欲しい。」と頼み事をされたんです。やりたいこともないし、これまで好き放題やらせてもらったし手伝うか、と。
関谷さんの人柄が伝わってくるようなエピソードですね!一方で、いざ飛び込んだご実家の事業は3年間ものあいだ結果が出ず、ノイローゼのようになったこともあったと伺いました。それだけツラい中でもなぜ続けられたのですか?
人生を長期的に考えたとき、20代は誰よりも苦労と努力することが必要で、それがプラスに働くと偉人たちが書籍の中で言っていたからです。ぼくはただその通りに行動しただけ。
松下幸之助さん、稲盛和夫さん、本田宗一郎さんなどの名著に共通して書かれていたことが「一番辛い環境に身を置くこと」「若い頃にとにかく泥臭くやれ」だったんです。世の成功者の方々が言っているから間違いないじゃないですか。
きっかけは父から声をかけられたことでしたが、最終的に水道屋の道に進むことを決めたのはぼく自身です。「置かれた場所で咲きなさい」ではないですが、自分で選んだ道ならば、上手くいくまで続けようと。
自分で道を選ぶことの大切さ、すごくよく分かります……!ここまでのお話をお伺いする限り、飲食業、アパレル業の華やかなイメージとは真逆な印象ですね。
そうですよね、本を読んだ人にもよく言われます(笑)「マーケティングのノウハウが詰まっていると思って読んだら、実際は「うまくいくまで頑張れ!」を徹底的に実行している物語だね」と。
水道事業を引き継いだときも、立て直せる未来は見えていませんでした。ただ、逃げずに続けたほうがいいと思っていたし、「悩んだらつらい道を選べ」を徹底しましたね。もっと言えば、いまグループが手がけている事業は全て「耐え忍ぶ」「継続する」が立ち上げの共通項になっています。
飲食もアパレルも、どちらも簡単に上手くいくと思ってはじめてないんですよ。簡単に上手くいくことをやってもおもしろくないじゃないですか。難しいことを、逃げずに辛抱強くやり続けること。それが世の心理と思っています。
あえてセオリーから外れる道を選び、撤退ラインは決めない。効率よりも先立つ想いを優先したい。
外から見ていると、水道・飲食・アパレルと、3つチャレンジをして、3つとも成功しているイメージを持っている人も多いと思います。この3つ以外に手掛けた事業もあったのですか?
ありますよ。水道業は海外進出を目指してシンガポールに現地法人を作り、3年間試行錯誤をしました。しかし軌道にのらず撤退。その次は、電気自動車のカーシェアリング事業にチャレンジしました。かなり大掛かりなチャレンジでしたがうまくいかず、これも撤退。実は結構失敗してきています。
そうだったのですね……!新規事業チャレンジの際、予め撤退ラインを決めているのでしょうか?
決めていません。力の続く限りやる。資金が尽きるのが先か、上手くいくのが先か、です。効率よくやろうとしたら撤退ラインを決めてスタートするのがセオリーだと思いますが、ぼくたちは、やりたいことをやってるだけなので撤退ラインは決めていません。
子育てに近い考えですね。子どもが留学したいと言えば、親は自分の体力や家計の資金が続く限り、その気持ちに際限なく援助しますよね。その時に撤退ラインとか決めますか?ぼくたちが新規事業をやるときは、それだけ強い「想い」を持ってスタートします。だから敢えて撤退ラインは決めない。
衝撃的な考え方です……!実際、春水堂との交渉は日本と台湾の往復を3年も続けたんですよね。その当時もそれだけ熱烈な「想い」があったのですね……!
初めて台湾の春水堂本店を訪れた際、言葉にならないほどの衝撃を受けたんです。その瞬間、ブランドのファンになりました。商品、お店の外観、内装などすべてが抜群に素晴らしかった。
ただ、当時の春水堂は品質とブランドを守るため、世界中からたくさん来るオファーをすべて断っていました。それでも世界一の情熱と行動を続ければ認められるだろうと思って、限界が来るまで通い続けましたね。オーナーから許可をもらえるまで3年間かかりましたけど(笑)
許可をもらえるかどうかもわからない中、3年間台湾まで通って説得し続けるとは……言葉を失います……。代官山に初出店をした当時は話題になりましたよね。
話題にはなりましたが、実はある程度軌道に乗るまでさらに3年かかりました。ただ、ぼく自身が春水堂の大ファンだったし、品質は間違いなく良いので、諦めずに試行錯誤を続けていれば必ずブレイクする確信はありました。だからそれまで、会社の資金が続くかどうかの戦いだったんです。
オープンから軌道に乗るまで3年ということは、口説き始めてから実に6年……!?その後国内では空前のタピオカブームが訪れ、いたるところでタピオカ屋さんを見かけるようになりました。その時はどういう心境だったのでしょうか?
そのタイミングで出店を増やせば正直売上はもっと伸びていたと思います。ただ、短期的な儲けのためにやっていないので、無理に出店はしなかった。春水堂のブランドを守るためにも1店1店の運営を丁寧に、想いを持ってやっていこうと決めてたんですよね。
長期的に春水堂のブランドを守るための戦略を取られていたのですね……!春水堂が徐々に軌道に乗る中、そのあとに“スーツに見える作業着”WWS(ダブリューダブリューエス)を新たに立ち上げられました。
こちらもリリース時から上手くいったというよりは、最初は賛否両論あったとか。
めちゃくちゃ批判されましたよ。「スーツに見える作業着?」「現場をなめてるのか」「そんなの売れるわけないだろ」とか、未だにあったりします。でも必要以上に否定的なコメントに振り回される必要はないと思ってましたね。むしろ全く波風立たないよりいいじゃないですか。
マーケティング的には良くも悪くも、多くの人から注目されないと何も始まらない。なのでどのような反応も基本ポジティブに捉えています。加えて、春水堂と同じくぼく自身がWWSのいちユーザーとして愛用して、間違いなく良いものだという自信があったし、ブレイクするポイントが必ずあると信じていました。
新規事業の立ち上げは仕組み化しない。起業家は何もないところから人を説得し、何かを作っていくもの
数々の新規事業にチャレンジされ、軌道に乗せてきたオアシスライフスタイルグループさんですが、新規事業が生まれやすくなる仕組みや制度があったりするのですか?
あえて仕組み化はしていません。新規事業を生み出すことが目的じゃないので。起業家は、何もないところから人を説得して何かを作っていくものと思っています。楽しくてやりたいと思ったものを見つけたら、その時に本気で取り組めばいい。だから事業開発を仕組化することには疑問を感じてるんです。
恋愛や結婚に例えると分かりやすくて、ぼくたちは結婚(新規事業)が目的ではないんですよ。恋愛の先に結婚(新規事業)が存在しているようなイメージで、お互いが自然と好きになってずっと一緒にいたいと思ったら結婚する(新規事業を立ち上げる)、そして結婚してからがむしろスタートだと思ってます。
すごくわかりやすいです。ということは仕組みがなくても社員の方が声を上げやすい風土や雰囲気作りが重要になってきそうですね。
役職や年次関係なくいいアイデアがあればいつでもぼくに直談判して、説得してくれと伝えてます。
社員は24時間365日、ぼくへの連絡はいつでもOK。LINEでもメッセンジャーでも社内SNSでも大歓迎で、新卒1年目の社員からもぼくにダイレクトに連絡がきます。もし新規事業として立ち上がらなくとも、こういった理由で難しいねと、必ずフィードバックしています。
ぼくの感覚でおもしろいと感じなかったら、正直におもしろくないと言いますね。この新規事業でちょこっとだけ稼いでもしょうがなくない?とフィードバックすることもあります。二番煎じで他社の真似をすることは手法として悪くないとは思いますけど、そこまでして儲けたいわけではないので。
そこでも儲けるかどうかではなく、おもしろいかどうかを徹底されているのですね……!関谷さんご自身の考え方や想いは、どのように社員さんへ伝えているのでしょう?
「関谷のトリセツ」みたいな定期的な研修に加えて、グループLINEでぼくがその時思ったことをTwitterのように垂れ流すこともしています。「今日こんなおもしろい写真が撮れた」とか、「この本すごくおもしろかった」とか軽い内容もあれば、たまに「うちのECサイトを見たんだけど、ここはこんな風に変えてみない?」みたいな真面目な内容も。軽めの内容は大体既読スルーされますけどね(笑)
やりたいことを探す必要はない。大切なのは熱量が高い人のそばで頑張ること
全く異なる事業を並行して運営するためには、それぞれの事業を推進される方々の協力も必要不可欠ですよね。大事にしている考え方はあったりしますか?
「実際に成功している人について知ること」以上のノウハウはこの世に存在しないと思っています。みなさん言っていることはすごくシンプルで、「旗を立てて、おもしろい人を集めて、必死にPDCAを回し続ける」。だからぼくたちは、「成功」=「PDCAの速さ」×「時間」と言っています。
「おもしろい人」を集めていくために、具体的に実施していることはありますか?
会社の採用はぼくが必ず新卒説明会と最終面接に出席していて、採用基準は「その人と友だちになりたいかどうか」。そうするとぼく自身の熱量がめちゃくちゃ高いので、熱量が高い人だけが入社してきてくれます。
熱量が高いといっても、やりたいことを最初から持って入ってくる人は少ないです。「いつかやりたいことを見つけたい。ただ、今はまだ見つかっていない。それまでの期間、なにか夢中になれることに向き合いたい」という人が多い。ぼくはそれでいいと思っていて、「じゃあ、おれやりたいことめちゃくちゃあるから手伝ってくれよ。」と。
やりたいことが無い、見いだせない人と悩んでいる人は決して少なくないと思います。そんな人に一言アドバイスをお願いします!
やりたいことが無くて焦る必要はないし、無理に探す必要もない。考えて見つけるものじゃなくて、ある日突然に湧き上がるものなのかなと。
ただしそうなるためには、日ごろから熱量の高い人のそばで頑張る、自信を付けていくことが大事。やりたいことがなくて悶々としてるのなんて時間の無駄。どんな環境に身を置くか考えることが大切だと思います。
想いを起点とする。撤退ラインは決めない。成功するまで徹底的にやり抜く。理想を言えばどれも間違いなくその通りと思う一方で、実際にその通りにやり抜くことがどれだけ難しいことであるのか?をご経験されている方は、きっと少なくないのではないかなと思います。(自分を含めて)
セオリーを知っているけれどもあえてセオリーとは別の道を選び、仕組み化ができることも理解しているけれども、あえて仕組みを作らない。その上で熱量の高い社員のみなさんを信じてPDCAを回し続けるからこそ、結果的に異なる事業が次々と軌道に乗っていく。
オアシスライフスタイルグループさんの真の強みは、そういった数値化ができない部分にこそ宿っているのかもしれないなと、数多くの刺激をいただいた取材でした。
取材:森 弘繁/杉山 美和/賀来 重宏
文 :森 弘繁
編集:杉山 美和/賀来 重宏
写真:賀来重宏