敏腕マーケターの共通点として、前回のフーディーの記事のとおり異常なまでの好奇心があります。「好奇心」という広義の意味を今回、具体的に表すのであれば「未知なる場所への興味」ではないかと思うのです。
株式会社シンクロの代表取締役社長、オイシックス・ラ・大地株式会社 執行役員 兼 CMT(チーフマーケティングテクノロジスト)、「LOVOT」の開発・販売を手掛けるGROOVE X株式会社のCMO(チーフマーケティングオフィサー)など様々な肩書を持つ凄腕マーケターこと西井敏恭さんを作り上げたと言っても過言ではない旅へのこだわりをお伝えする企画。
旅好きであれば、一度は読んだことがあるであろう 沢木耕太郎著『深夜特急』に憧れ、バックパッカーで旅をしたことがある方は必見、読んだことがない人も”一般的”な旅行記とはひと味もふた味も違う内容に乞うご期待。
楽しいことは自らで作ることができる
西井さんは2度の世界一周をされていますが、1度目の世界一周の記録をまとめた書籍『世界一周 わたしの居場所はどこにある!?』の内容をもとにお話を伺っていきたいと思います!
「冒険がしたい!」という強い想いで南米を目指し旅を始めたのが世界一周の動機と著書には記載があります。「冒険」という未知への好奇心に駆り立てられたことが旅のきっかけだったのでしょうか。
いきなり核心をつく質問ですね。今思えば、冒険がしたかったというよりは、人との出会いを求めていたんだと思います。旅をしていると「1年間アフリカでバックパッカーやってます」とか、(いい意味で)ヤバい人にたくさん出会えるんですよ。「エジプトのあの宿にはイカれたやつがいる」みたいな噂も入ってくる。それがおもしろくて。この人たち本当ヤバいなと思ってたんですけど、のちにぼくもそうなるんですよね。
ぼくが世界一周をしていた当時は沢木耕太郎著『深夜特急』や猿岩石が流行ってバックパッカーや世界旅行をする人が急増していました。
日本の学校で出会う同世代の友人とは全然違う、年齢も職業も関係なく様々なバックグラウンドをもつ人との出会いがぼくにはとても刺激的でした。
彼らとの出会いを通じて、ぼくの固定観念は崩壊したんじゃないかな。彼らは当然のように就職なんてしてないので、就職が当たり前だと思っていた自分でも「そうじゃない選択肢もあるんじゃないか?」と思い始めたんですよ。
その結果、就職するつもりだった大手企業に入社前「すいません、旅に出ます!」と、今思えば謎の言葉を残して内定をお断りしてしまいました。当時の人事の方、本当にごめんなさい。
序盤からだいぶファンキーなエピソードが(笑)
就職を辞退しなくとも1年間働いてから旅に出る選択肢もあった中で、そうしなかったのはなぜですか?
シンプルに仕事したくなかったんですよ(笑)そんなぼくが今はめちゃくちゃ仕事してるんでほんとに人生、どうなるかわからないですよね。
当時は特に大きな決意や意思はなく、たまたま推薦がもらえた大学に行って、内定先も周りに決めてもらったほど。内定辞退してからも、仕事に強いこだわりがなかったので、ひたすら旅行の資金を貯めるために工場で働いてましたね。
西井さんが大手企業の内定を蹴った後に、工場で働かれていたとは…、驚きです……!
旅行資金が貯められればどこでも良かったんです。周囲からは何を血迷ったのかと色々と言われましたけど、正直全然気にしてませんでした。
結果、新卒1年目は1年で3日間くらいしか休みを取らずに年間362日働いて、社食のかけうどんばかりを食べながらなんとか200万円貯めたんですけど、しんどいとかは一切思わなかったですね。
旅に行くことで西井さんが本当に成し遂げたかったことは「冒険」よりも「他人と同じレールを歩かなくても生きていけることの証明」だったのかなと感じたのですがいかがでしょう。
おっしゃる通り、昔から他人と同じことをやりたくないとは思ってましたね。その気持ちが歳を取るにつれ薄れていく危機感もあり、それが嫌だなと思って今も生きています。
旅に出会うまでのぼくは「人生つまんないな」と思ってたんですよ。勉強も運動もそこそこで、友達も多い方でそれなりに楽しんではいたのですが、常になにか楽しいことないかなと思ってました。旅ってツアーとかじゃない限り、誰と会うか、何を食べるか、どこに行くか、全部自分で決めるじゃないですか。そこで、楽しいことは自分で作れるんだと気づけましたね。
今まで見ていた日常の景色が旅を通じて変わったのは素敵ですね。
生死をさまよう事故もネタになる圧倒的ポジティブマインド
旅中の不安とかはありませんでしたか?
ほぼなかったですね。周りから圧倒的ポジティブと言われることが多いのですが、先天的なものではなく、旅を通じてポジティブになったと思ってます。
世界一周をしている間に2度、生死をさまよった交通事故に遭ったことがあって、事故った後まっ先に「よかった、ちょっと痛いけど死んではない。これはネタになるぞ」って。実際、20年経った今、こうやってネタになってますし(笑)
まさに怪我の功名というやつですね…!
アフリカのモザンビークという国でヒッチハイクした車が交通事故を起こした時は、ほぼ車が通らない周囲が真っ暗な田んぼのど真ん中で、腰が曲がって立ち上がれない状態でした。事故の1時間後くらいにたまたま通りかかったトラクターに乗せもらい近くの病院まで連れて行ってもらったんですが、その病院には水も電気もなかったんですよ。真っ暗な病院の廊下の両側にロウソクが並んでいて、奥からは「ウオオオオオオオ」みたいな奇声が聞こえて…。あ、おれ、もう死んだんだ、って(笑)
その病院では結局、「ここには医者がいないからとりあえず注射打つね」と言われて注射を打たれたあとは3日ほど寝たきり。3日後に救急車が来て近くの、といっても6時間くらいかかるんですが、中型都市の病院に運ばれて、2週間ほど入院しました。あの時はまあまあ辛かったな。
それで”まあまあ”ですか……!(笑)
世界を見ると本当に日本がいかに選択肢に溢れた国かが分かりますよ。アフリカの奥地で将来医者になりたいという子どもに出会ったんですけど、正直医者になれる確率は低いと思います。村から出るのも簡単じゃないし、学校に通うお金を稼ぐのも相当大変なので。でも日本だとしっかり勉強すれば結構な確率で叶いますよね。そう考えると日本にいてネガティブなことってほぼないと思えますね。
色んな事実を見てきたからこそ、自分の悩みなんか本当にどうでもいいなって。
電車の遅延でイライラしてる人いるじゃないですか。インドだと平気で6時間とか遅れるわけですよ。「これって遅延?」というレベル。アフリカでも目的地まで48時間と言われていたのに結果、56時間かかりましたからね。日本の感覚からするとわけわかんないでしょ(笑)。これにいちいちイライラしてたらもったいない。
昔は相当負けん気が強い性格でイライラしている時間も多かった気がするんですが、今はほとんど怒らなくなりましたね。こんなこと言うとシンクロのメンバーに「え?」とか言われそうですけど(笑)
そのエピソードを聞くと、日本の数分や数十分なんて誤差ですね。
圧倒的な出会いの数と強制的に環境を変えることのできるのが旅
世界旅行が長いと不思議と同じ人と別の国で何回も会うことがあるんです。ヨルダンで出会った学生とその後、ネパールで偶然再会したり、イランの安宿で会った人に、1年後コロンビアで偶然で出会ったり。旅先で出会った人に、ぼくが登壇していたセミナーで再会することもありましたね。名刺交換の時に覚えてる?と声をかけてきてくれて。
もちろん、当時はSNSもなければ連絡先を交換しているわけでもないので世の中すごい偶然もあるものですよね。
世界は本当に狭いんですね。ここまで偶然の再会が重なるということは「類は友を呼ぶ」的な引きつけ合う何かがあったのか、それとも、バックパッカーだったらここに行っておけ!みたいな集まりやすい場所だったのでしょうか…?
そもそも出会いの母数が圧倒的に多いからじゃないですかね。昨日1日仕事していて初対面の人に何人会いましたか?
…ゼ、ゼロ人でした。
ですよね。ぼくも昨日1日仕事して初対面の人には1人も出会っていないです。旅をしている時は、現地の人から宿の人を含めて毎日10~20人は新しい人に出会います。日本で1年過ごすのと、旅をするのだと出会える人は数千単位で差が出てきますよね。
バックパッカー専門用語「主」「沈没」
ところで「沈没」って知ってますか?
「映画」ですか……?
バックパッカーの専門用語なんですよ。同じ宿に長期滞在することをバックパッカー用語で「沈没」って言うんです。
世界各地に「日本人宿」という日本人バックパッカーが集まる宿があったんですけど、だいたいそこに行くと「沈没」している人とか「主(ヌシ)」と呼ばれる人がいる。
ぬ、主ですか……?
主はなぜかその宿を牛耳ってる人のことで、初日に主にちゃんと挨拶をしないとハブられたりするんです(笑)ちなみにぼくが出会った主は、日本から南米に行った最初の国の日本人宿に6か月沈没してて、しまいには宿で熱帯魚を飼い始めて、「何しに来てんだよ」みたいな(笑)
だいたい「現地の子に恋する」「お酒・ドラッグ」「通貨価値の暴落」「日本人の少なさ」が沈没理由で、中でも、現地の子と恋するパターンは多いですね。
アフリカとかは、縦断に数ヶ月かかったり、日本人に会うことが珍しいので、ついつい居心地がいい日本人宿で沈没する人は多いですね。エジプト、ケニアそしてジンバブエあたりが三大沈没地域じゃないですかね(笑)
沈没はなかなか闇が深そうですね……。西井さんは沈没しなかったのですか?
ぼくの2年半の世界一周の旅で、最長沈没は2週間ぐらいだったかな。短かったと思います。周りにはよくがんばったねって言われます(笑)
後は、移動がしんどいのも理由としてあるかもしれません。アフリカやアマゾン辺りだと次の目的地までの移動がバスで24時間がデフォルトですし、バスも日本のバスとは全然違って舗装されていないあぜ道をエアコンのない車内で24時間なのでお尻すごく痛いんですよね。また、今みたいにSNSで事前に予約もできなかったから移動が終わって、現地に着いてからホテル探しをしないといけないと考えると、動きだしは重くなる理由もわからないでもない。
5年前くらいにチリで人気の宿のオーナーが、現代は日本人宿含め安宿の業態は続けられないと話していたのが印象的でした。安宿は基本ドミトリーの共同部屋でバックパッカーが沈没するとシーツの取り替えもなくなる。そして、最低でも1週間は滞在するので言ってしまえば放置でいいんです。しかし、今は基本1日、2日で出てしまう人が多く、長くても1週間ほどの滞在なので安宿のビジネス形態は成り立たなくなってきているそうです。
チリのオーナーさんと話して、確かに「沈没」という言葉を聞く機会も減ったし、でバックパッカー用語で「沈没」自体の概念は残っているようですが最近は1週間ほどの滞在で沈没と言うらしいですね。
ぼくが旅をしていた当時は、各地に到着してから1週間滞在は普通でしたからね。3日だとちょっと短い滞在だなあと思うくらいでした。そんな背景もあり、ぼくが2年半かけた世界一周も今だとペースも早くなっていますよね。長い人だと沈没期間含めて8年ぐらいかけて世界一周している人もぼくの時代にはいたので。
西井さんが沈没をしなかったことにはなにか理由があるのでしょうか。
何か確固たる掟を決めていたわけではなく、シンプルに飽きっぽい性格だからでしょうね。
あと、なによりもぼくは旅が好きなんです。移動とか苦じゃないしむしろ好きな方。チベットからネパールに移動するのは標高5000mのところをオンボロのバスで3日間かかったり、セネガルからマリへの移動は1週間に1本の列車で50時間くらい気温40度のところに閉じ込められていくのですが、その手の移動があるって聞くとちょっとテンションあがりますね。今とは違う場所、知らない場所に行きたいという欲求が勝っているのだと思います。
テンションがあがる…(苦笑)
ちなみにパスポートを増補できるのって知ってます?ビザや入国スタンプを押すスペースがなくなると、大使館などに行ってページを増やしてもらうことができるのですが、パスポートの増補度がバックパッカーとしての格と比例しているところがあって、周囲から尊敬されるようになります。ミシュランの一つ星みたいなもんですが、ぼくのパスポートは、20代で作ったものも、30で作ったものもどちらもページがなくなって増補していて、現在ミシュラン二つ星くらいになっています。三ツ星シェフを目指したいですね。
旅はドラクエ、私は旅芸人
当時はもちろんスマホとかなかったと思うのですが、日本人宿がどこにあるかとか、どこへどのように行くのかとか、情報収集はどのようにやっていたんですか?
日本人宿に置いてある情報ノートで知ることも多かったですが、基本ドラクエと同じですね。いきなり魔王の場所なんてわかんないじゃないですか。なのでその地域に着いたらまず村人Aに話しかける。情報が得られなかったら村人Bに話しかける。すると「北に行くといいよ」という情報を得て、北へ進むみたいな。
でもそう言われて行った先で「大使館が無くてビザを取得できない、3マス戻る。」みたいなリアル人生ゲームですよね。3マス戻るのに1週間かかるんですけど。
ハードすぎます……(笑)金銭面で、現地で住み込みや日雇いのバイトはしなかったんですか?
遊びでギターを弾いて金稼ぎをしていた程度です。治安が良くない国だと夜に外出ができないので暇なんですよ。だから、旅先で出会ったギターが上手い人に教えてもらって練習をしていたら面白くなってよく弾いていました。
モロッコを訪れた際に道端でギターを弾いていたら警察が来るくらい人が集まって怒られたりとか、金づるになると思われたのかぼくの周りでいきなり商売し始める国もありましたね。「こいつは、日本から来たら大スターだぜ!」とか適当なこと言って金儲けする国もあったり、国民性が垣間見えて面白かったですね。
絵に描いたような自由気ままな旅ですね。当初のゴールは南米だったかと思いますが、実際に念願の南米に着いた時はなにか景色が変わりましたか?
”何か”1つをやり遂げた感じはありましたね。1回目の旅のゴールがマチュピチュで、2回目は南極だったのですが、どちらも言葉では表せないくらい綺麗な景色でした。今まで見てきた景色が何なんだろうと思うくらい綺麗だったので正直、到達した時に喪失感が出るかなとも思いました。
でも、マチュピチュ行った後、そのまま1年以上旅してますからね、頭おかしいでしょ。
マチュピチュの後、村人Aに教えてもらって訪れたウユニ塩湖の美しさも、南極の後に訪れたイースター島のモアイの壮大さも全くの別物。一応、ゴールはあったんですけど、決してそこが頂点ではなくいいものは世界にたくさん溢れているのだから比較するものではなく、それぞれが美しいと気づけましたね。これは今の仕事にも繋がっていて、いま色んな事をやっているんですけど、比較してどれがいいではなくて、どれもおもしろいんです。同じように見えても全然違うことがたくさんある。
大前研一さんも仰っている自分を変えたければ「決意」より「時間配分」「住む場所」「付き合う人」を変えるという3つを旅で体現できるのですね!
旅は仕事の反対ワードではなく、むしろ旅をしている方が面白いアイディアがひらめくし仕事も捗るんです。仕事が捗れば儲かるし、お金が稼げれば好きなこともできるしという好循環でしかないんですよね。今でこそリモートワークが理解され始めていて、3年前だったら何言ってんだろうって思われたこともコロナ禍を経て多少理解してくれる人が増えた気がします。
時代がやっと西井さんに追いついた…というところでしょうか。
わからないですが、ぼくが今のような考え方になったのは自分がやりたいことをちゃんと考えて人よりもたくさん行動しただけだと思っています。
2022年にカタールで開催されるワールドカップに行こうと思ってるんですけど、仕事を休んで行くのはもったいないと思っていて、昼は現地で仕事をして、夜はワールドカップを見に行ければ、最高ですよね。仕事もやりたいし、サッカーも見たい。両方やったっていいじゃないですか。これは、シンクロのみんなにも話していて、2018年のロシアのワールドカップのときには一部のメンバーで仕事をしながらワールドカップを見に行ったのですが、2022年までには完全にリモートでできる体制作って、シンクロで現地の家を借りるから、そこでみんなで仕事しながら見に行こう、って。
土日休みも不合理だし、月火休みたければ休めばいい。1ヶ月旅行したければ、1ヶ月会社に来なくていいだけで、その間に仕事もできれば問題ないと思う。そうできるように自分で舵を切ればいい。「仕事=辛い」「遊び(休暇)=楽しい」と区別するのではなく両方楽しめるなら、楽しんだほうが良いですよね。「休み」という概念そのものがなくなればいいなぁと思ってます。
ふらっと入った本屋さんで素敵なカバーの本を中身も見ないで買って読んでみる。
行き先も決めずに下りた駅での素敵な花屋さんを見つける。
日常のちょっとした発見や出会いの計画的偶発性がなくなっていることに気づき寂しさを感じると共に、まずは指名買いの日常から変えてみたくなった今回のインタビュー。
SNSを開けば答え合わせのできる現代において、先に答えを求めすぎて失敗をしないようにと自らの選択肢を狭めていたことに一抹の不安を感じ、失敗さえもネタにできる大らかな心の豊かさを持ちたいと思いました。まずは、肌身離さず持ち歩いている携帯電話の電源を切って、京都にでも行くとしましょうかね。
文:杉山美和
編集:永井淳悟/賀来重宏
写真:賀来重宏