ナイロビで最も多くの赤玉ねぎを売る男がケニアで勝負をかける理由|AmoebaX代表、河野邦彦さん

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インドでのスクール事業立ち上げから、フィリピンのスタートアップ企業YOYOホールディングスでの人事経験を経て、現在はケニアでAmoebaXという農業スタートアップを立ち上げ、赤玉ねぎを販売する河野邦彦さん。自らの信条に沿って今の事業に至るまでの経緯と、これからの展望について、貴重な帰国の合間を縫って取材させていただきました!

アジアでの人事の経験を活かし、ケニアへ

アナグラム

現在は、ケニアで赤玉ねぎの販売事業をやられているということで、まずはそこに至るまでの経緯を教えてください。

kono_kunihiko

昔から新興国で起業するのは決めていました。そして、やるからにはインパクトのあることをやりたいなと思っていたんですよね。インドやベトナムで仕事をしていた経験があるので、そのあたりで起業したらおもしろいかなと思ってたんですけど、友達に話したら「なんかそれ面白くないぜ!」っていきなり出鼻をくじかれて。でも言われた時にそれって、これまでの延長線上の話だったので、「たしかに、もっとおもしろいことできるな!」と思ったんです。

当時、インドやベトナムで仕事をしていて、すでに金も人も集まっていて成熟し始めている市場において、果たして自分は勝てるのだろうか?という思いは強かったですね。

大きいインパクトを残すと言う以上、勝たないとダメだなっていうのが念頭にありました。そこから自分で色々調べたり、色んな方と話をして、行ったことはなかったんですけどアフリカに結構大きいマーケットあるなと思い、なんとなくですが感覚を掴めたのがきっかけですね。

アナグラム

アジアにいらした時は、具体的にどのようなお仕事をされていたんですか?

kono_kunihiko

YOYOホールディングスという、フィリピンを起点に「フリーインターネットを新興国に」っていう超格好いいミッションを掲げていて、その当時3億ぐらいの資金調達をした会社で、ぼくはインドの立ち上げ担当で入社しました。

アナグラム

それまでも、何度かインドに行ったことはあったのですか?

kono_kunihiko

はい、友人がインドで日本人向けの英語とヒンディー語が学べる語学学校を立ち上げるというので、その立ち上げの手伝いをしてほしいと誘われたのをきっかけにインドにいました。
誘われた時に念のため、「ちょっと彼女(今の奥さま)にだけ、一言相談させて」と少し時間をもらったんですが、彼女に話したら大喜び。「そんなチャンスないじゃん!」って言ってくれて、それから3年間くらい遠距離だったんですけど、ぼくがインドにいる間もずっと応援してくれていたので時期が来たら結婚しようと思いました。

アナグラム

イイハナシダナァ。

kono_kunihiko

それからすぐに渡印し、半年ぐらいインドの語学学校の立ち上げをやっていて、若い日本人が何かやってるのが珍しかったのか、インドの偉い方にお会いする機会もありました。そのご縁もあって、インドの立ち上げだったら行けるかも!と思いYOYOホールディングスに入社したんですけど、リサーチしたらインドでの立ち上げはやらないことになっちゃって(笑)

紆余曲折あって結局、フィリピン本社に行って人事をやることになりました。そこではインドネシア人、ベトナム人、フィリピン人の方々とスカイプで一次面接して、二次面接で社長にスカイプしてもらって、最終面接で週末にぼくが直接会いに行くみたいな感じで採用をやらせていただいていましたね。

アナグラム

最終面接は各国まで直接会いに行ってたんですか!?

kono_kunihiko

そうですね、最終面接はぼくが会いに行くっていうスキームを勝手につくってしまったのでめっちゃ大変でした。でも、行ったことのないところに行くことに全く抵抗がなくなったのは自分にとってすごくいい経験をさせてもらったなと思ってます。その時の経験が後々ケニアに行くと決めたとき全く抵抗なく、なんとかなるだろという感覚につながっているのかもしれないですね。

アナグラム

なんだか感覚が麻痺してますね(笑)ちなみに、河野さんの英語などの言語は元々話せたのですか?

kono_kunihiko

いえいえ、全然です。人事時代に覚えました。ほとんど英語が話せない状態からのスタートだったので、最初は大変でしたよ。だって英語全然わからないのに、英語で面接官するんですもん。大恥の連続。だから、トークスクリプトをめちゃくちゃ細かく用意したり、しっかりと面接の準備をした甲斐もあり、面接を通して英語はかなり上達しました。

途中で気づいたんですが、面接ってある程度会話の型があるんですよね。あとぼく自身面接官だったので、例え相手の英語が聞き取れなくても「いや、ちゃんとぼくが理解できるように話して。もうちょっとわかりやすく言い換えて」みたいなスタンスで何度でも聞き返せたのが大きかったです(笑)

アナグラム

なるほど(笑)じゃあ言語の壁もそれほど感じず、ケニアでは事業をスタートできたのですね。

kono_kunihiko

そうですね、抵抗は全くなかったです。他にもYOYOでは良くも悪くも本当にいろんな経験をさせてもらい、起業のイロハを学びました。

アナグラム

当時の経験がまさに今に活きているわけですね。そのあとすぐケニアで起業という流れですか?

kono_kunihiko

いえ、ケニアに行く前に結婚をする約束をしてたんですけど、「お金はいらないです!」って言って働いていたので、当時お金が全然なかったんです。

YOYOを退職して一旦、日本に帰ってきたタイミングでお金がないどころか借金もありまして…。結婚もそうだし、起業するためにもとにかくお金が必要だったので知り合いの人材紹介の会社で働かせてもらいました。

そこで、お金を稼ぎながらどの国に行こうかなぁというのをいろんな人の話を聞きつつ考えていました。というのが最初に話したアフリカにマーケットがありそうだと気づいた瞬間ですね。

アナグラム

最終的に行ったこともないケニアに決めた、決定打みたいなものがあれば教えてください。

kono_kunihiko

ぼく、いわゆる3K(汚い、きつい、危険)みたいな、人がやりたがらないことをめちゃくちゃ頑張れるのが自分の強みでもあると思っているんです。だったら、それを活かさない手はないなと。かつ、テクノロジーの会社にいたので、テクノロジーを活用しつつ人がやりたがらないことをやり切れれば、自分がやるべき理由になるし、その領域でなら”勝てるな”と思ってました

テクノロジーという観点で見るとケニアはインターネットが80%近く普及していて(※)、アフリカの中でも圧倒的なんです。この普及率は、シンガポールと同じくらい。

あとは人口ですね。アフリカの中で最も人口の多い国はナイジェリアで2億人くらいなんですけど、ケニアは2番目で5000万人いる。しかし、ナイジェリアはぼくがアフリカに行こうとしていた当時、ISIS( イラクとシリアで発生したイスラム過激派組織)の問題があり、在留邦人もケニアは1000人でナイジェリアは100人ほどで、妻もいますし若干治安が心配で。それだけ参入障壁が高いということでもあるんですけど、教育水準の高さなど色々調べた結果、ケニアにしました。

※参考 「ケニアICTビジネス参考資料」より

アナグラム

なるほど。なにを事業にするかは最初から考えてましたか?

kono_kunihiko

いえ、国だけ決めたんですが何をするべきかは現地で情報収集しないとわからないので、とりあえずケニア版リクナビみたいなサイトで現地のケニア人を採用しました。

アナグラム

そこでYOYOの時に人事をやられていた経験がめちゃくちゃ活きるわけですね!

kono_kunihiko

めちゃくちゃ活きました(笑)それからはケニア現地で採用した2人とスカイプでどんなことをやるか毎日ディスカッションしてましたね。ちなみに、そのうちの1名は今も大活躍してくれてます!

大量仕入れ、大量在庫、ビジネスモデルが生み出した想像を超える在庫問題

アナグラム

やっと本題の赤玉ねぎの販売にたどり着くわけですね。皆が気になっているであろう赤玉ねぎの販売にいたるまでの経緯を教えてください。

kono_kunihiko

やっぱりインパクトが大きいことをやるには、マーケットの小さいところで一番になっても意味がないなと思ったので、大きいマーケットを攻めないとなと。だから、ケニアのGDP25%を占める農業の分野をやらないといけないなと思いました。ケニアだけでなくアフリカ全体で見てもかなり大きなマーケットですからね。しかも、ケニアを含むアフリカは人口爆発で年々人口は増加し続けていて、まだまだマーケットは拡大していきます。

農業分野で上流から下流まで色々とリサーチしてわかったのは、あるべき場所、あるべき時期に、あるべきモノが届いていないという、流通が一番の課題であるということでした。その課題を解決すべく、まずは流通をやりましょうと事業化が決まり、その中で限られた資本、限られたリソースですから、どこに焦点を絞っていくかを考えた結果、最も流通量が多いジャガイモ、トマト、赤玉ねぎが候補として挙がりました。

ジャガイモは流通量は多いけど単価が非常に安い。トマトは単価は高いし流通量もあるんですけど、日持ちがせず腐りやすいという大きな課題を抱えていました。その中で、赤玉ねぎは単価もそこそこ高く、量もあるし、日持ちもしやすい最高の野菜だったんです。ちなみに、ケニアの食文化においてで赤玉ねぎというのはなくてはならない存在でして、「カチュンバリ」という、赤玉ねぎとトマトをスライスしたサラダのような料理が国民食として、多くの料理に添えられているという背景があります。

アナグラム

なるほど!!こういった情報は現地の方を採用して、直接現地の話を聞かないとわからない情報ですね。そもそも、ケニアで赤玉ねぎが3番目に流通量が多いなんて思いもしませんでした。

kono_kunihiko

マーケットを調べるうちにこの赤玉ねぎを取り巻く環境に大きな課題を感じたので、実はすでに一度ピボット(事業転換)をしているんです。簡単に説明すると、ケニアの首都ナイロビの真ん中に日本でいう豊洲のような中央市場あって、ここに色んな地域の小売りの方々がトラックで大量に買い付けに来ます。ぼくらの最初の事業は、中央市場からトラックに赤玉ねぎを大量に積んで、各地域に無料配送で売りに行くというビジネスから最初はスタートしました。

ただ、このやり方には大きな問題もあって、我々で常にある程度の在庫を抱えないといけないんですね。結果論ですが、在庫をもつのは本当に地獄で、おおよそ数十トンという単位で赤玉ねぎを仕入れるんですけど、その規模になると、一晩倉庫に置いておくだけで赤玉ねぎの水分が100キロ単位で蒸発してしまうんです。グラム単位で販売しているのでこれだけでも大きな損失になるんですが、更に100キロ単位で商品にならない赤玉ねぎも出てきて廃棄処分を余儀なくされるのはかなりの損害でした。最初はこういう簡単なところにも気づかなくて、なんでこんなに軽くなってるんだろうと不思議でしょうがなかったんですけど。

アナグラム

赤玉ねぎを倉庫に置いておくだけで水分が蒸発して価値が下がってしまうなんて、どれだけ想像力働かせても予測できませんねぇ…。怖い怖い…。その問題を事業転換でどのように乗り越えたのですか?

kono_kunihiko

以前は仕入れた赤玉ねぎを一度倉庫に持って行き、不良品を間引いて選別をしたり、サイズ分けわけたりして、出来るだけいい品質のものを高い値段で販売していたました。更に、各地に配送もしていたので、その分既存のマーケットよりも高い価格で販売していたんです。このスタイルから今は真逆のスタイルにしまして、配送しない、選別しない、でもうちの倉庫に来てくれれば中央市場よりもめちゃくちゃ安く売りますよというビジネスモデルに転換しました。

事業転換をしてから、みんなうちで安く買えるのが分かっているので徐々に買いに来てくれるお客さんも増えて来てます。更に、在庫の回転率が大幅に上がったので、赤玉ねぎ水分蒸発問題も以前と比較すると大きく改善されました。

アナグラム

今ある課題に沿ってしっかりと本質を見極めたうえで、綺麗にピボット出来てますね!しかし、こういったビジネスモデルは数トンなどの大量仕入れがあってこそだと思うのですが、事業化の前に資金調達をされていたのでしょうか?

kono_kunihiko

そうですね。一応共同創業という形でシンガポールの会社から資金調達できたのは大きかったと思います。

アナグラム

ちなみに今、(2020年2月現在)従業員の方はどれくらいいるんですか?

kono_kunihiko

今は9人でやっています。去年までは社員53名ぐらいだったんですけど、事業転換のタイミングで30人以上解雇しました。

意外かもしれないですけど、ナイロビは実はかなり労働基準法厳しく、解雇するまでは4か月ぐらいかけて、その時期は正直それ以外の仕事は全く手につかなかったです。今となっては、いい失敗体験でしたが。

アナグラム

なるほど、商品の選別や配送である程度まとまった人員が必要でしたが、事業転換で一気に必要な人数は減りますね。そうなると実質人件費は減って、流通量は増えてビジネス的にはうまくいっている感じですか?

kono_kunihiko

粗利率も上がって健全にはなってきましたね。

ただ、過去の人事での経験や学生時代は体育会系組織に属していたこともあり、人をマネジメントすることにそれなりの自信があったんです。でもそれは過信でしかなくて、今の事業を通じてマネジメントコストがかかるなと気づけたのは自分の中での大きな気付きでした。

アナグラム

すみません、勝手なイメージで、なんとなく日本と比べるとケニア人ってドライかつ、オープンな人柄の方が多く人間関係での問題が起こりずらいのかなぁと思っていたのですがそんなことないんですね。採用している方は基本、現地のケニアの方なんですか?

kono_kunihiko

基本はそうです。ただ、去年ひとり新卒で日本人の女性が入ってくれました。インターンとしてケニアに来てもらったんですけど、その子がめちゃくちゃ優秀な子で。別の内定先で新規事業やるんですって言ってたので、「ここもある意味新規事業じゃん」って口説いたら、内定先を辞退してうちに就職してくれました(笑)

彼女は事業転換から、従業員の解雇までのなかなかハードシングスな過程を一緒に見てきてくれているので、ずっとひとりでビジネスをしてきたぼくからすると、彼女には精神的にすごく助けられていますね。

アナグラム

ステークホルダーの方ももちろんですが、わざわざ日本からケニアに来てくれたその方のためにも事業を今後、もっと伸ばしていかないといけないですね。

kono_kunihiko

ほんとそうです。みんな幸せになってくれたらいいなと本気で思ってます。

郷に入っては郷に従え

アナグラム

河野さんがこれまでのビジネスを通じて感じる、ケニアのマーケットにおける課題ってどのようなものがありますか?

kono_kunihiko

ストリートベンダーという路上で玉ねぎを売っている小売りの方々が中間業者に非常に多くのマージンをとられているところにあると思っています。

ナイロビ自体のマーケットが広いので、中間業者は基本的に仕入れも売り先もほとんど困ってないんです。ただストリートベンダーの方々は日本でいう豊洲のような、国が場所だけ用意した中央市場からの仕入れに依存していて、不利な立場に立たされています。加えて、国や中間業者がマージンを大きくとるので、自分たちが生活するためにはエンドに輸入品と同じような価格でしか販売できないという構造ができあがってしまっていた。その構造的な問題を解決しようと思い、ぼくはここをガツっと攻めた。

アナグラム

全体構造の問題点を発見して、うまくハックしたんですね。それって変な言い方をすると国のやり方を否定しているわけですよね?

kono_kunihiko

はい、めちゃくちゃ嫌がられますよ。ぼくらも今の事業に転換してからは「これでも既存のマーケットを駆逐出来るじゃないか!」といき込んでいて、赤玉ねぎをめちゃくちゃ安く売りまくりました。そしたら競合から「国外追放するぞ」と囲まれたこともありましたね…。

あと、お役所からも定期的に嫌がらせはきます。税務とか衛生とか警察とか。もう全方位的に嫌がらせが継続してますが、まぁこれは文化みたいなものなので。

アナグラム

その言い方ですと嫌がらせにかなり慣れた感じですか?

kono_kunihiko

もう慣れましたけど、最初はめちゃくちゃ焦りましたよ。政府からいきなり業務停止の通達がくるので。でも、そこは文化というか、言ってしまえば賄賂欲しさに政府の役人もやっていたりするんです。

アナグラム

(笑)もうそういう文化なんですね。郷に入れば郷に従えと。

kono_kunihiko

前にケニアでインド系資本の製造業、売上数百億ぐらいで従業員1万人みたいな大企業を見学させてもらったんですけど、弁護士2人がお役所対応のためにフルタイムで常駐していたんです。それをみた時に、役所との付き合い方っていうのはちゃんと考えないといけないなと実感しました。

アナグラム

常駐の弁護士が必要なほどとはまさにカルチャーショックです。日本とはそもそもビジネスの戦い方が異なるんですね。

kono_kunihiko

日本では考えられない、何でもありな国のように感じるかもしれないですが、実はケニアの方ってめちゃくちゃ保守的なんですよ。食に対しても保守的で、ずっと同じもの食べてるんで、ローカルフードも指で数えられるくらいしかありません。だからこそこれだけ赤玉ねぎが消費されるという背景もあります。

ぼくらはいまナイロビで一番安い赤玉ねぎを一番多く売ってるんですけど、隣のお店の人がそこで仕入れているからという理由だけで、既存の仕入れ先を変えたくないっていう人が非常に多いんです。「得したい」という思考よりも、「損したくない」という思考が圧倒的に強い。

そのあたりは、日本の古くからの農家さんに近い感覚なのかもしれない。だからこそ、新規の開拓は結構時間がかかるんですけど、面白いところはオセロのように1つひっくり返るとその隣や隣の隣まで一気にひっくり返るんです。

ただし、「契約」というものはお国柄ほとんど巻かないのが特徴ですかね。

アナグラム

契約を巻かない…?

kono_kunihiko

はい、日本と違って「法」がそれほどワークしていないので、「契約」自体に法的拘束力がほとんどないんです。契約しても普通に破られるし、破ったところで何も罰則はない。もちろん、中にはちゃんと契約を交わす業者さんもいるんですけど、まぁほとんど紙切れのようなもんですね。

たくさんのチャンスを与える人でありたい

アナグラム

現在はナイロビを拠点に事業展開されていますが、今後ナイロビ以外のエリアに広げていく予定はありますか?

kono_kunihiko

あと3年は今のエリアだけにフォーカスしようと思っています。エリアを広げるというよりは、ある領域を深掘っていくフェーズに来ていると感じでいます。

言ってしまえば今の事業は「大量仕入れ」というパワープレイで間接コストを下げるビジネスで拡大しているだけなので、極端な話、中国から10億円の資金を持って仕入れ値で販売されたら負けちゃうんですよ。中国を中心に全世界の人が、アフリカに成長の見込みが高い大きなマーケットがあることに気づいて続々と参入しようと来ています。だから、今までのようなパワープレイを続けていては、大きな資本が来た時に勝てないなという危機感はあります。だから、これからは商流を包括的につかんでいく必要があって、例えば価格変動のデータと仕入れを連携させたり、農家さんの栽培状況やベンダーさんの仕入れ状況をデータベース化させるなど、サプライチェーン全体に対して効率化や改善を図っていきたいと考えています。

アナグラム

なるほど、テクノロジーも掛け合わさってくるわけですね。これまで資金力で参入しようとしてくる競合はいなかったのですか?

kono_kunihiko

いたんですけど、いきなり多品目でやったり多くの競合は課題の本質を掴まない空中戦をやってしまっていたので結局、今も生き残っている企業はいないです。

以前、中国人の料理人のふりして競合の倉庫を見に行ったこともあるんですけど、在庫を腐らせらせていたり、マーケットに即していないビジネスモデルだと続かないよなと反面教師でしたね。あとは、ぽつぽつとオンラインのプラットフォームで農家と小売りをつなげるサービスも出てきたりしてるんですが、スケールしているビジネスは今のところはないですね。

ただ、ぼくの中でこれをやられるとツライなというビジネスモデルはあるので、そこに対して参入障壁を作っていかないといけないなと思ってます。例えば、うちより安く卸す業者が出てきても、うちから買ってくれるようなコミュニティを作っておくとか、ツールやサービスとかは今後考えていかないといけない課題の1つですね。

アナグラム

なるほど。では今後もしばらくはアフリカで事業を継続されていくんですね。

kono_kunihiko

はい、アフリカで事業を継続するというのは、今、雇用している従業員に対しての教育でもあると思っているんです。うちから買ってくれているお客さんも、うちから買うことで収入が上がれば自分のお子さんにちゃんとした教育を与えることができる。それって結構インパクトの大きい事なんじゃないかなと思ってます。

新興国でビジネスをしたいと思ったのも、バンコクに行った時にストリートチルドレンの子に九九を教えたりしてて、よく考えたら今自分が九九を教えなかったらこの子たちって一生九九を知らないで大人になる可能性あるなと。そう考えると日本の子たちに九九を教えるよりも、この子たちに教えた方が社会に対する影響って大きいですよね。

アナグラム

日本だと誰かが教えてくれますもんね。

kono_kunihiko

ぼくは教員免許を持っていて、最初は先生になるのが夢だったんです。ぼく自身小学生時代、何にもできない生徒だったんですが、めちゃくちゃいい先生に出会えて、勉強って楽しい!と思えるようになり、そのおかげで人生が変わったといっても過言ではないくらいとても感謝しているんです。

それをきっかけに先生のように人に影響を与えられる大人になりたいと思って、大学の時に教員になる進路も考えたんですけど、結論、先生という職業である必要ってないなと。改めて考えたらあのクラスで人生変わった!と今感じたのはおそらく自分だけなんですよね。

そこから、「先生はあの当時、自分に何してくれたんだろう。」と思い返した時に、チャンスを与えてくれたんですよね。なのでチャンスをたくさん与える人に自分もなりたいし、そういう人生でありたいというのが根本にあるんです。だから、アフリカの地で結果を出すことが自分の信条にかなり近いのではないかなと自分の中ですごく腹落ちしている。

アナグラム

最初に仰っていた「河野さんがやるべき理由」や「自分が勝てる領域」っていうところとつながってきますね。チャンスを与えるのは日本でもできそうだなとも思ったのですが、河野さんの強みを考えたときにアフリカでやったほうが影響度が大きくなるのはおっしゃる通りですね。

kono_kunihiko

はい、まずはケニアで大きなインパクトを残すためにも、ここから10年はいまの会社にコミットすると自分の中で決めていて、10年間で時価総額1000億円を超える企業を作るのを目標にしています。そのぐらい大きなチャレンジはしたい。

今(取材当時)30歳なので10年後だと40歳。多分ケニアで10年間やればその後、アフリカの別の国に展開していくにしても、めちゃくちゃ楽になるはずなんですよね。そう考えると、40歳超えてからもアフリカにいそうな気がしてきました(笑)

今後は中間業からプラットフォームへ

アナグラム

今後の展開を教えていただいてもいいですか?

kono_kunihiko

直近だけでいうと卸し先を開拓して売り上げを拡大するということをやっていますが、これはお金を掛ければできることなのでぼくが敢えてやらなくてもいいと思っています。それよりも改めてマーケットリサーチをして、この商流にどういうプレイヤーがいて、そのプレーヤーはどういう役割を担っているのかというのをちゃんと数字で落とし込んで、全部を理解していきたいです。

そしてぼくらがプラットフォームを作っていきたいなと思っていて、そこのプラットフォームのいちプレイヤーとして今の事業が成り立つ、という形になればいいのかなとは思ってます。

アナグラム

それくらい闇が深いというか、これまでやろうとする人がいなかったマーケットということですよね。

kono_kunihiko

誰も統計として出そうとしていないんですけど、実はマーケットサイズはかなり大きい。ぼくらはスーパー4店舗に卸してるんですけどそこが月6トンなんですね。それに対してローカルのマーケット、いわゆる路上のおばちゃんたちには150トン卸しているんですよ。

アナグラム

スーパーよりも路上のおばちゃんたちの方がマーケットシェアが大きいとは…。

kono_kunihiko

そうです。まだそこが圧倒的なので、もうちょっと農家から中間業者へのデータをとるとか、中間業者から小売りへのデータをとるとか、それでマーケット全体で何が課題なのかをデータとしてみて全体を支えるようなサービスを作っていきたい。どこまで行ってもタイムマシーンだとは思うので、日本、中国、東南アジア、アメリカの先行事例からも学んで、そこで流行っているサービスの機能とかを見て、「卸の人はこういう事で困りそうだな」という仮説を立てながら進めていきたいなと。

あとは今の事業とは別ですけどNGOもやろうかなと思ってます。

アナグラム

NGOはどんなことを考えているんですか?

kono_kunihiko

なんでもいいなとは思ってるんですけど、サッカーをやっていたのでサッカー教室とかでもいいし、教育系でもいい。「可能性がある人に機会を」ってよく言ってたんですけど、よく去年の行動を振り返ってみると、週末疲れて家でYouTube見たりしてたんですよね。それまじでイケてないし、だせぇ!と思って。歩いて15分の所にスラム街があるのに、なにYouTubeとか見てんだよみたいな。なので今年はちゃんと週末を有効に使いながらいろんな課題に向き合っていきたいなと思っています。

アナグラム編集後記

最初に河野さんの取材のお話を頂いたとき、「ケニアで赤玉ねぎ…!?おもしろくないわけがない!」と感じた印象そのままの取材でした。恥ずかしながらケニアに関する予備知識は少なく、漠然と発展途上国で、世界で見ると貧しい国というイメージしかなかったのですが、河野さんのお話を聞いてアフリカやケニアに対する印象が大きく変わりました。

週末に疲れて家でYouTubeを見ている自分を「だせぇ」と感じる人がどれくらいいるでしょうか(自戒も込めて)。利己的な考え方だとケニアで働くという選択肢にはならないだろうなぁと取材前から考えており、実際に河野さんと話をすると、社会の課題を自分ゴトとして考え、利他心のある方だなと感じました。

「インパクトの大きいことをやる」を軸にご自身の強みをしっかりと理解し、圧倒的な行動力で今に至った河野さん。取材時に出た話ではないですが、おそらくこれまでいろんな人に「そんなのできるわけない」「無理だ」と言われてきたのではないかなと思います。それらを打ち返し、数年でナイロビで最も玉ねぎを売る人になった河野さん、1時間半という短い時間でしたが、河野さんがケニアだけにとどまらずアフリカで大きなインパクトを残す未来が見えた取材でした。

インターンを募集されているそうですので、河野さんと一緒に大きなインパクトを残したい!という方は一度ご連絡してみてはいかがでしょうか?

文:賀来重宏
編集:阿部圭司/杉山美和
写真:杉山美和