料理人→光通信→上場企業役員……あらゆる職場で出世し続ける藤田氏の仕事人生に迫る|株式会社ROBOT PAYMENT執行役員 藤田豪人さん

  • 関東

料理人や上場企業役員などを経て、現在株式会社ROBOT PAYMENT 執行役員として「請求管理ロボ」の事業責任者を担う藤田豪人さん。約20年にわたる藤田さんの仕事人生のなかには、ビジネスパーソンとして圧倒的な成果を出し続ける秘訣がたくさん散りばめられていました。仕事を通じてスキルアップしたいみなさま、ぜひ、そのストーリーをのぞいてみてください。

多様で異例なキャリアの持ち主・藤田さんっていったい何者?

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藤田さん、本日はお時間いだきありがとうございます!はじめに、ちょっとご経歴を整理させてください。

18歳〜 辻調理師専門学校で料理を学ぶ
19歳〜 ホテルや居酒屋で料理人として勤務、バーテンダーも経験
24歳〜 光通信で営業、入社3年で統括部長
29歳〜 プロトコーポレーションで広告代理事業やメディア買収を担当
33歳〜 パイプドビッツにて35歳で取締役CMOに就任
40歳〜 カオナビでコーポレート本部長、上場プロジェクトを担当
41歳〜 ROBOT PAYMENTで執行役員、「請求管理ロボ」事業責任者

職場は8つ、職種は料理人・バーテンダー・営業・マーケティング・コーポレート・執行役員と……な、なんと多様なんでしょうか……!しかも各職場において重いミッションを背負い、しっかりと成果を出されているその再現性の高さにとても驚きました。どうしてこのように複数の職場を渡り歩かれているのでしょうか?

fujita

勤めていたホテルが倒産したり子どもが生まれて働き方を見直したりと、その時々で個別の事情はありますが、ここまでキャリアを転々としてきた一番の理由は「成長し続けるため」ですね。

たとえば、私は光通信という1ヶ月で役職が変わるような環境で20代で部長を経験してしまったので、さらにチャレンジするためには独立願望がないため役員になるしかなかった。だから「35歳までに上場企業の役員になる」と自分の中で決めたんです。現にプロトコーポレーションからパイプドビッツに転職したのはこれを果たすためですね。自分で自分にウソをつきたくないので、こうして期限を決めると達成する方法しか考えなくなるんですよ。退路を断つと言いますか。

取締役を任せてもらったパイプドビッツからカオナビのコーポレート部門に転職したのも「いままで一度もやったことがない管理部門か……まだまだスキルを磨けるぞ」と感じたからです。まさか初心者が上場プロジェクトを任されるとは思っていませんでしたけどね(笑)。

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めちゃめちゃ成長に貪欲ですね。さらに自分で決めたことをしっかり実現されているところがカッコいいです!

fujita

強制的にチャレンジせざるを得ない環境に自分を追い込む、つまり確実に成長できる方法の1つが転職だと思ってます。もちろん一概に転職バンザイと言いたいわけではありません。失敗するリスクだってありますしね。ただ、「転職に失敗しました」という人の大半は正直やりきってないだけじゃない? とは思います。早めに失敗という結論づけをしただけなんじゃないのかなって。成功と失敗って、なにを成功/失敗と定義するのか、それをいつ結論づけるのか次第で変わりますからね。

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たしかに、失敗したなぁと思ったことでも、改善してチャレンジし続ければ、長い目で見たときに成功体験の一部になり得ますよね。さっそくグッとくる言葉の数々、ありがとうございます! ここから藤田さんの仕事人生を紐解いていきましょう!

「手に職をつけなさい」母の教えから料理人としてスタートした仕事人生

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現在バリバリのビジネスパーソンである藤田さんのキャリアのスタートが「料理人」であるのはとても意外でした。最初のお仕事に就くまでの経緯を教えていただけますか?

fujita

私の家、1歳のときに両親が離婚していてすごく貧乏だったんですよ。中学生の頃から親戚のお店でアルバイトをしていて、高校は卒業後すぐに働けるように商業科に入りました。大学に通うという選択肢はまずなくて、母からはずっと「手に職をつけなさい」と言われ続けましたね。

高校卒業後は料理人になるか税理士になるかで迷ったんですが、結局は料理人の道を選びました。アルバイト先が寿司屋だったこともあり料理は昔からおもしろいと思っていたんですよ。辻調理師専門学校に1年通い、19歳で名古屋都ホテルの中華厨房に入りました。中華というジャンルを選んだのは、どの街にもある中華料理屋なら将来自分でお店を構えやすいだろう、と若いなりに考えていたからです。

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「料理人になりたい!」というよりは、ご家庭の状況もあって合理的に選択していった結果料理人になった、という流れだったんですね。

fujita

そうですね。やはり家庭環境や母の影響は強く受けています。私が中学生の頃にやっていたアルバイトって親戚価格で時給が500円だったんですよ。「500円かぁ……」と私がボヤいていると、「いまのあんたには500円の価値もない。500円以上の成果を出せば時給は勝手に上がるから待ってなさい」って母から言われたんですよね。この「文句を言わずに成果さえ出していれば報酬はあとからついてくる」という考え方は、中学1年生の頃からいまもずっと大事にしています。

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なるほど、13歳ですでに成果を出すことへの意識づけがなされていたのですね。藤田さんが圧倒的に成果を出し続ける原体験が垣間見れました……!

fujita

無事料理人にはなったものの、残念ながら勤めていたホテルが閉鎖してしまって。よし、お酒も好きだし居酒屋だ! と、次は焼鳥屋とその姉妹店のレストランバーで働きました。この時に店舗マネージャーやバーテンダーも経験しましたね。

勉強や接待のためにいろんなお店に出かけて食べたり飲んだりしているうちに、ふと気づいたんですよ。結局お店がもうかるかどうかは味だけではなく、立地や店の雰囲気、マーケティングで決まるなって。つまり料理人として腕を磨くだけでは生きていけない、という現実を突きつけられたんですよね。

ちょうど勤めていたバーが業態を変えるというタイミングも重なり、ここで料理人を辞めて、ビジネスの世界に飛び込むことを決断しました。

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同様の危機感があったとしても、藤田さんのように職種転換できる方はなかなかいないのではないかと思いました。根が料理人というよりも、商売人であることがうかがえるエピソードですね。しかも料理人から転身した先は、営業職でトップクラスの光通信さんとは……!

光通信で確実に1位をとるため自分に課した行動量は「2位の2倍」

fujita

光通信の環境を「厳しい」と感じたことは実は一度もないんですよ。料理人時代は包丁の柄で頬を叩かれたり足元スレスレに油かけられたりしていましたからね。「ここならケガはしない!」という感想でした。なかなか気が狂ってましたね(笑)。

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それは藤田さんならではの感覚ですね(笑)。光通信社を選んだのはなぜですか?

fujita

学歴不問で入社できるIT企業だったからです。キャリアプランは一切なく、入社2週間で辞めたいと思いましたね。ただ、「全くの異業種からきた立場でそんなにすぐ酸いも甘いもわかるわけないんだから、3ヶ月文句言わずに真剣にやってみなよ。それでもダメだったら辞めればいいじゃん」って身内に言われたんですよ。それでまずは3ヶ月間がんばることにしました。期限を決めて退路を断ち目の前の仕事に全力で取り組むようになったのはここからですね。

どうせやるんだったら一番をとりたい、一番になるためにはどうしたらいいんだろう……と考えたときに、自分には営業経験がないのでとにかく行動量を増やすしかないと思いました。そこで行動量の基準を「2位の2倍」に設定したんです。2位の2倍やればなにかしらミスがあっても確実に1位がとれるだろうと。正直しんどかったですね(笑)。そんな調子でやっていたら新人1位はもちろんのこと、3ヶ月後には中部地区で2位の成績をとるようになっていました。

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「2位の2倍」の営業活動、ガムシャラに働くとはまさにこのことですね……!

fujita

結果を出せばどんどんチャンスをもらえる会社だったので、入社3ヶ月目でチームをもち、1年後にはマネージャーにまで上がりました。そして、コケました。半年で組織を崩壊させてしまい、見事にボロボロになったんです。

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ボ、ボロボロですか!?

fujita

当時私は25歳で、20人ほどいたチームメンバーはみんな先輩だったんですよ。あなたについていっても数字も給料も上がらないからもう辞めます、と離職が続きました。いま振り返ってみると、マネジメントではなくただ周囲に迎合していただけだったんです。

さすがに私も耐えられなくなって、会社を辞めるか、マネージャーを降りるかさせてくれと会社に頼みました。すると「好きなところでゆっくり休みなさい」と、静岡エリアのサブマネージャーというポジションを渡されたんですね。3ヶ月ほど静岡で過ごしたんですが、これがもう、ヒマでヒマで。本当につまらなかった。結局徐々に営業に出かけるようになり、後半は数字を上げるようになっていました(笑)。

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お休み期間中なのに結局営業してしまう藤田さん、さすがです(笑)。

fujita

ちょうどその頃北陸で合弁会社を立ち上げる話があり、コールセンターを見る人がいないということで「じゃあ私がやります」と、そのまま統括部長に上がることになりました。

コールセンターの統括となると見る範囲は約300人、しかもアルバイト社員がほとんどです。一人ひとりに対峙して教育するには限界があり、仕組み化を徹底しました。「THE MODEL」のような体制を作るイメージに近いですね。要素を分解して、コール数や歩留まりを洗い出して、適切なKPIを設定する。

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営業時代のマネジメントスタイルとはガラッと変わったんですね。しかしながら統括部長にまで上がったあと、転職に至ったのはなぜでしょうか?

fujita

この時の転職のきっかけは、このままだと子どもとの時間がとれないと思ったからですね。ガッツと気合いと根性で数字を上げるのではなく仕組み化に注力してはいましたが、やはり仕事に費やす時間は長かった。それに年齢を重ねるほど転職しづらくなると感じていたので、29歳で次の職場へ行くことを決意しました。

地元名古屋のマイホームを手放し東京で高みを目指したプロトコーポレーション時代

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中古車事業で有名なプロトコーポレーション社を次なる職場として選んだ理由を教えてください。

fujita

ちょうどプロトコーポレーション(以下プロト)が中古車以外の第二の柱を作ろうとIT関連の事業を強化しているタイミングで、おもしろそうだと思い入社しました。あとは地元名古屋に帰りたい、骨を埋めたいという思いもありましたね。

プロトでは主に名古屋大阪エリアのWeb広告代理事業を担当していました。新規事業のため身の周りに経験者がおらず、当時売上につながるか定かでなかったリスティング広告だけ売るのもイヤで、かなり自己流の営業をしていましたね。大手企業に「ECで福袋を売りましょう!」と事業計画書を持ち込んで受注することもありました。

そうするうちに東京よりも私の担当エリアのほうが売上が伸びてしまって、「来月から東京にきてほしい」と会社から声がかかったんです。実は名古屋に家も買ってたんですけど(笑)、即答で東京転勤を決めましたね。東京ではDeNA社からリユースメディア『おいくら』を買収して、事業責任者を担当しました。

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なんと! 骨を埋める覚悟で家まで買っていたのに……!?

fujita

上が見えるとつい行きたくなっちゃいますよね。サラリーマンの性ですよ(笑)。当時「サラリーマンで勝ち組になる」とはつまり出世することでした。いまは時代が変わっていますけどね。

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藤田さんは毎回ドラマのように出世されていて本当に圧倒されます……。「35歳までに上場企業の役員になる」という自分ルールも藤田さんらしいですよね。

fujita

35歳で役員、プロトで実現したいと思っていたんですけどね。ちょうど人事制度が変わり、役職を上げるためには一定の勤続年数が問われるようになってしまったんです。順当に進んでも役員になれるのは最短で40歳という計算になったので、すぐさま転職を決意しました。

「35歳で上場企業役員」を実現したパイプドビッツ時代

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藤田さんの仕事人生、ここでようやく約10年……折り返しです。濃密ですね(笑)。次なる職場パイプドビッツ社では、取締役CMOとしてご活躍されたんですよね。

fujita

マーケターを紹介するメディアなのに、ここまで全くマーケティングの話をしていなくてすみません(笑)。BtoBマーケティングを本格的にやったのはパイプドビッツ時代です。新規リード獲得だけでなく既存顧客への追加提案強化、インサイドセールスの立ち上げもおこないました。マーケティングの形を変えるつもりでガッツリ取り組みましたね。

パイプドビッツの製品『SPIRAL』って、いわばなんでも作れるWebアプリケーションなんです。しかし「なんでもできます」という訴求は誰にも刺さらない。だからこそ営業がとってきたソリューションをあたかも既存パッケージのように見せて別の企業に売り出すフローを作ったり、業界別にマーケティングメッセージを作り分けたりと、細かいニーズに合わせて適切な製品紹介ができるような仕組みを作ることに尽力しました。

前職のプロトでは代理店の立場からお客様へマーケティング施策を提案をしていたわけですが、事業計画書を作ったといっても無責任な内容が多かったなと反省しましたね。いざ自分が事業会社でマーケティングを担ってみると、こんなにも難しいのか……と感じました。

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パイプドビッツ社でのお仕事もかなり充実されている印象ですが、せっかく手に入れた上場企業の役員の立場を捨て、次の職場カオナビ社ではコーポレート部門という新しい領域に足を踏み入れるわけですね……!

カオナビで初めてのコーポレート業務、任されたのは上場プロジェクト

fujita

パイプドビッツを辞める予定は全くなかったんですが、カオナビからオファーがきて急に心が揺れたんですよね。「管理部門か……よしやってみよう」と。全くのコーポレート未経験である私になぜ声がかかったのかいまだに謎な部分はありますが(笑)私は基本的に「自己評価よりも他人からの評価のほうが正しい」って思っているんですよ。カオナビは経営リスクを背負った上で私に重要なポジションのオファーを出してくれているわけなんで、だったら絶対にやれるだろうという確信がありました。

いざ入社してみると「そういえばうち上場を目指しているから」と聞かされて。しかもわりと話は進んでいて、1年後には上場を控えている状況でした。トラブルもあるなか周囲の協力を得ながらなんとか乗り越え、事務責任者として、予定していたスケジュールどおり上場をやりきることができました。

アナグラム

そんな重役をいきなり外からやってきた人が担うとなると、メンバー側が混乱しそうなものです。実際のところいかがでしたか……?

fujita

軋轢、もちろんありますよ。だからまずは偉そうにせず、わからないものはわからない、教えてほしいというスタンスで周囲に接します。ただ一方で、「この人のおかげで明らかによい変化が起きている」と誰しもが感じられるよう、圧倒的なスピード感で物事を推進し結果を出すことはとても重要だと思っています。「なんでこの人が評価されてこのポジションにいるのだろう」という不満はどんぐりの背比べのなかで上がってくるものなので、結果は圧倒的でなければなりません。これは結局社内の人間がポジションについた場合であっても同じだと思いますね。

アナグラム

カ、カッコいいです……! 圧倒的な成果を出すというスタンスが本当にブレないですね。

……さて、転職の理由をお尋ねするのもいよいよ最後ですが(笑)、カオナビ社からROBOT PAYMENT社への転職はどのような背景があったのでしょうか?

fujita

上場プロジェクトをやりきり、やはりコーポレート部門よりも事業推進側をやりたいと思ったんですよ。社内での異動も検討したんですが、いろいろタイミングが合わず別の会社でチャレンジすることになり、現在に至ります。

『日本の経理をもっと自由に。』マーケティングの枠を超え文化を創造する

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ROBOT PAYMENT社といえば! 藤田さんは話題のプロジェクト『日本の経理をもっと自由に。』を手掛けてらっしゃいますよね。

fujita

このプロジェクトが生まれたきっかけは、完全にコロナ禍でした。私が事業責任者を務める「請求管理ロボ」のマーケティングをどう進めようかといろいろ考えているときに気づいたんですよ。「経理の人たちって、この状況下でも出社してない?」と。まだまだ紙の請求書が多いことを考えると当然ですよね。

しかし経理はそもそも就労人口の2%しかいませんし、情報交換のコミュニティもほぼ見受けられない。明らかに働き方に課題があるのに、表面化していなかったんです。じゃあ私たちが声をあげるか、と。5月中旬に企画を立て、7月にはなんとかイベント開催までこぎつけました。この数ヶ月は地獄でしたね(笑)。

「印鑑をなくそう」「紙をなくそう」というムーブメントはすでにたくさん起きていましたが、私たちはあくまで「経理の働き方を変えよう」というメッセージにこだわりました。我が事ではなく世の中事にしたかいあってか、テレビ3番組、オリジナル記事30媒体、転載を含めると300媒体のメディアに取り上げていただいています。Yahoo!のトップにも掲載され、「うすうす気づいてはいたけど、やっぱりこれから働き方を変えていかないといけないよね」というコメントが約1,300も届きました。

経理の働き方が変われば、結果マーケティングの成果も上がると考えています。検索ボリュームが伸びたり検索語句が広がったりすることで、SEO流入にもリスティング広告のCPA改善にもつながりますよね。

アナグラム

スケール感もスピード感もすさまじいですね。お話を聞いているだけでワクワクします!

fujita

カオナビでコーポレート部門を経験したことが、いまの職場でとても活きていると思います。ファイナンス全般の知識をもった状態なので、このマーケティング施策への投資はいいのか悪いのか、判断がよりスムーズになりましたね。

次のターゲットは10年後の52歳。複業という新しい働き方を

アナグラム

多様で異例なキャリアをここまで追いかけてきましたが……さいごに、藤田さんがこれからチャレンジしていきたいことを教えてください!

fujita

「これがやりたい!」って、実はあんまりないんですよね。独立する気もないですし。趣味の延長で老後に焼鳥屋をやりたいっていうぐらい(笑)。しかももう出世がどうこうっていうフェーズでもないので、いよいよ最近は社会に何かしらインパクトを残せるようになりたいなぁと考えています。いま取り組んでいる事業を通じて世の中に一石を投じる……みたいな。

個人的なキャリアでいくと、ちょうど私が52歳になるときに下の子が大学卒業するので、そのタイミングで働き方を変えてみようと思っています。具体的には、複業へのチャレンジですね。ありがたいことに「うちの事業を手伝ってくれませんか」と声をかけていただく機会が増えているんですが、なかなか条件面が合わずご一緒できないケースがたくさんあるんですよ。私にも生活がありますからね……。だから自分を100%で売るんじゃなくて、少しずつ分けて提供する。そうすれば受け入れ側の負担を減らせるし、関われる事業が増えれば社会に還元できる可能性も高まるので、いいことだらけだと思っています。

アナグラム

複業! これだけさまざまな環境で再現性高く成果を出し続けている藤田さんなら、それはもう引っ張りだこ間違いなしですね!

fujita

ありがとうございます(笑)。たしかに私の場合いろんなことを経験してきたんですが、正直なところエッジはたってないんですよ。特定の領域における深い知識がない。もっと1つの領域を深堀りしたほうがよいのかもしれないと、いまだに疑問をもっています。BtoBのSaaS事業の推進にこだわって深堀りしようとしているのも、そんな背景があってのことです。

ただ、いろんな経験を得たからこそ、とどのつまりすべての仕事は「人と人」で、原理原則は一緒だという答えにたどり着くことができました。お客様、あるいは一緒に働くメンバーがなにを考えどうなりたいのか、言動や文脈から探って、想像して、関係性を築いて、成功を生み出す。営業でもマーケティングでも執行役員でも、どんな職場であっても、全部同じなんですよね。

アナグラム

結局は「人と人」。これだけの経験をされた藤田さんがおっしゃるからこそ重みのある言葉ですね……! 本日はお忙しいなか、本当にありがとうございました!

アナグラム編集後記

「藤田さんは積んでいるエンジンが通常のヒトとは異なるのではないか?」と思うほどに、仕事や人生そのものに対する活力がガンガンと伝わってくる取材でした。藤田さんにとってはきっと「成果を出すことが当たり前」、なんですよね。口にするのは簡単ですが、実践するのはとんでもなく難しいことです。

確実に成功するための指標を定める。当然その指標は相当ハードルの高いものだが、期限を決め退路を断ち、圧倒的なスピードと行動量でやりきる。成功が次のチャンスを呼び寄せ、さらに1ランク上の成功にチャレンジする。

……どうしたら藤田さんのように成果を出し続けるビジネスパーソンとなれるのか、記事を書きながらうんうんと考えてみました。ポイントは、「成果を出すことが当たり前」となるように「勝ちグセをつける」ことなのかもしれません。

本文中にもあったように、成功とは、定義と結論づけるタイミングの問題。さて1勝目、あなたはなにを、いつまでに成功させますか?

取材:賀来重宏/森 弘繁/まこりーぬ(ライター)
文 :まこりーぬ(ライター)
編集:賀来重宏
写真:賀来重宏