デジタルメディア事業を中心に、SNSアニメ事業『モモウメ』など新たな事業にも力を入れている株式会社キュービック。総合比較サイト『your SELECT.』や看護師専門の転職情報サイト『ミライトーチ Media看護師』などのデジタルメディアを通じてご存じの方もいれば、会社で働くメンバーのうち半数がインターン生という組織の特徴に興味を持たれている方もいるかもしれません。
今回は、そんなキュービック社の創業者である代表取締役社長 世一英仁さんにお話を伺いました。デジタルメディアを始めた経緯から、「ヒト」に真摯に向き合い続ける姿勢までたっぷり語っていただきました。
司法試験不合格のどん底からデジタルメディアにのめり込むまで
ぜひ、本日は会社のことから世一さん個人のことまで広くお聞かせいただければと思います!まずは、世一さんがデジタルメディア事業を始めるに至るまでの経緯を教えてください。
デジタルメディア運営を始めたきっかけは、目指していた「弁護士」という職業の道を諦めたことですね。
大学受験まで話をさかのぼると、まずぼくは、現役で東大文Ⅱの受験に失敗しました。そこで浪人が決定したわけですが、「せっかく勉強する時間ができるなら、一番難しいところ受けよう」と奮い立ち、東大文Ⅰを受験。そこから東大法学部へ進学したんです。
しかし、進学はできたものの、自分の中でその先の「なりたい姿」を明確に描けていませんでした。そんなとき、大学の講義で日本の知的財産保護の弱さを痛感したんです。その時に、「自分のやりたいことはこれだ!」と思いましたね。
「これだ!」というのを具体的にお伺いできますか?
それまでは漠然と「将来は大きな仕事がしたい」と思っているだけだったんです。ただ、知的財産について学ぶうちに、製造業で発展した日本のモノ作り文化において知的財産を守る重要性に気づきました。
「このままだと日本の知的財産は世界に奪われる。自分がやらなければ。」という使命感にかられたんですよね。そこで、自分自身が納得したうえで、改めて弁護士を目指すことにしました。
当時「大企業の案件を担当できる四大法律事務所に入るには、東大の法学部を出て3回以内に司法試験に受からなければいけない」との話があり、真に受けていたんです。でも僕は、3回以内で合格することができなかった。自分がやらなければいけないと思っていた仕事に就くことができなかったと、絶望しましたね。
夢が絶たれた絶望は計り知れないですね……。ただ、今のところまだデジタルメディアが登場してきませんが、世一さんがデジタルメディア事業をスタートさせたのはそのあとですか?
司法試験後、いざ就職活動もするにしても、年齢的には既卒扱い。スキルを持った中途の方たちと競わないといけないと思いこんでいました。そこで、司法試験の受験費用を捻出するために取り組んでいたデジタルメディア運営に本腰を入れてみようと考えたのがきっかけです。
そこから、デジタルメディアの運営に没頭されていったのですね。しかし、そもそも司法試験の受験費用を捻出するのに、なぜデジタルメディア運営だったのですか?
以前から趣味の範囲でサイト制作を行っていました。それが単純に面白かったんですよ。HTMLをいじってフォントの色やサイズが変わるだけでもめちゃくちゃ楽しかったし、作ったサイトのアクセス解析を見るのも好きでした。たった数件のPVでしたが、その数字の奥には生身の誰かがいると思うと、もう嬉しくて。
クリックが増えたり、コンバージョンが生まれたり、検索エンジンで上位に表示されたり。そういった一つひとつの積み重ねが本当に楽しくて、どんどんとのめり込んでいきました。
経営者としての覚悟が決まった瞬間
個人でのスタートから、いまや企業の経営者となられたわけですが、当時と今とで「覚悟」の違いや、考え方が変わった出来事はありましたか?
転機は2度ありました。1度目は、初めてご家庭をお持ちの方を雇用したとき。当時、ぼくにはまだ「経営者」という自覚があまりありませんでした。言葉は悪いですがあくまでいちプレーヤーであり、デジタルメディア運営は生計を立てる手段のひとつという位置付け。弁護士はもう諦めていましたけど、それに変わる何かを見つけなければ、とずっと考えていたんです。
ただ、ご家庭がある方を採用するということは、その方だけでなくその方のパートナーやお子様まで責任を持つ覚悟が必要です。「その覚悟が自分にあるのか?」と悩みましたが、それ以上にその方と一緒に仕事を頑張ってみたいと。そのときに個人事業の延長のような感覚から、会社として大きくしていく覚悟が決まりました。
2度目は、とある相談をしたときに返された社員からの一言。
ある日ふと「ぼくが車を買ったらみんななんて思うんだろう?」と思ったんです。その時たまたま隣に座っていたエンジニア社員に「もし社長が高級車を買っていたら、“高級車買うくらいなら社員の給料上げてくれよ”って思わない?」と聞いたら「そんなちっちゃいことを考えるのやめてもらえません?」と(笑)
痛快な返しですね……!(笑)
「社員のことばかり気にしないで思いっきりやって、それでダメならダメで、またなんかやるとき呼んでください!俺らはそれで大丈夫ですよ」と言われました。おかげで目が覚めましたね。
社外では若い起業家たちが台頭し始めていましたし、「自分はこのままでいいのだろうか?」と焦る気持ちもありました。会社を大きくしたいという気持ちと同時に、大きくするのが恐い気持ちもあって、拡大と現状維持の間で揺れていたんです。
でも、このやりとりのおかげで今までに培った事業、組織、キャッシュ、技術などすべてをかけて挑戦し、どこまでできるか頑張ってみようとうだうだしていた悩みも吹っ切れました。
心配していたのは世一さんだけだったんですね……。「あの時会社を大きくする決断をしてよかったな」と思うエピソードがあればお伺いしたいです。
たくさんあって選ぶのが難しいのですが、多くの人の人生に影響を与えられていると実感できたときですね。たとえば社員同士が結婚して、その間に生まれた子どもを抱っこした瞬間は「本当にキュービックという会社を作ってよかったなぁ」としみじみ思いました。そうでなくとも、この会社で出会った従業員同士が仲良くなってご飯に行くとか、そういった日常のちょっとしたエピソードを聞くだけで十分うれしいですね。
なんて素敵なエピソード……!世一さんはご自身がプレーヤーとしてのスタートなので、会社を大きくしていく過程で、完全に現場から離れなければいけないタイミングがあったかと思います。その時葛藤や恐怖、失敗はありませんでしたか?
自分が抜けることで会社の成長が止まるのではないかと思うと正直、怖かったです。あとは、自分が手を動かしていないことでキャッチアップが遅れたり、現場の状態を正確に把握できず、意思決定が滑るのも心配でした。事実、「ぼくは現場から離れます」と宣言してから、3回くらい戻ってるんですよ。手を動かすとそれはそれで楽しいなという感覚があったのもありますが。
3回も戻られていたのですね……!当時の葛藤はどのようなものだったのでしょう。
会社を大きくするために、ぼくが採用や人事に時間を割かないといけないのは明白でした。そして片足でもぼくが現場に足を突っ込んでいるうちは、「最後は世一が何とかするでしょ」という雰囲気がどうしても漂ってしまうんですよね。そんな環境にしてしまっては、社員の成長を阻害してしまう。短期的には小さな問題が起きるかもしれないけど、長期的に会社や従業員の成長を考えるとぼくは現場を離れるべきだと思いました。
世一さんが完全に現場を離れ、経営に注力できるようになった背景にはどんな工夫があったのでしょうか?
正直なところ、最初は工夫も何もありませんでした。今となっては反省していますが、「じゃあ、あとはよろしく」と丸投げ状態だったんです。もちろん、丸投げでも、責任を持って自分で手を動かしていくことで手に入るものはあると思います。しかし実際にはなかなか思ったように進んでいきませんでした。
本当の意味で「任せる」というのは「自転車の乗り方を教える」ことに近いと思っています。初めて自転車に乗る時は補助輪をつけて練習しますよね。漕げるようになってから、徐々に補助輪を外していく。経営も同様で、今までぼくの脳内にあったナレッジを体系化、言語化して現場に伝えていく補助輪のプロセスが必要だったんです。「なんとなく分かるでしょ?」では上手くいかない。
自分の頭の中にあったナレッジを全て言語化してからは、ぼくが現場から離れても上手くいくようになりましたね。
『ヒト・ファースト』とは、その人のことをその人以上に考え抜くこと
体系化、言語化というとキュービックさんは『ヒト・ファースト』というコアバリューを打ち出されていますよね。この言葉が生まれた経緯を教えてください。
キュービックはしばらくの間、ミッション・ビジョン・バリューが存在しませんでした。というよりみんなの頭の中にはなんとなく存在していたんですが、言語化していなかったというのが正しいですね。
結果、従業員を一気に増やそうとしたタイミングで問題が生じました。“なんとなく”共有できていた感覚が一気に伝わらなくなり、現場がどんどん混乱していったんですよね。そこで「これはさすがに言語化する必要があるな」と。
創設時から“なんとなく”会社にあったものを言語化していったので、改めて「これだ!」というものを「作る」のではなく、すでに存在してるものをみんなで「探す」ような感覚でした。そして「ここだけ大事にしていれば進めるね」と行きついたのが『ヒト・ファースト』です。
コーポレートサイトを拝見するたびにステキな言葉だなぁと思っていました。『ヒト・ファースト』という言葉についてもう少し詳しくお伺いしてもいいですか?
『ヒト・ファースト』だけを切り取ってしまうと「人を大事にすること・優しくすること」と勘違いされることが多いのですが、そういう意味ではないんですよね。
マーケティングでは画面の向こうのユーザー、会社経営においては一緒に働くメンバーが「ヒト」であり、その人たちの内面、深層心理までをとことん考え抜くということが『ヒト・ファースト』です。
「深層心理まで考え抜く」とは?
人って何か聞かれたときに自分でも「ちょっと違うな」と思いながらも口から言葉が出てくることがありますよね。嘘をつこうと思っているわけではなくても、本当の気持ちが言葉として出てこないことが往々にしてある。
言葉にできない気持ちやお腹の中にあるもっと複雑で深いものこそがインサイトですよね。理由がないわけではなく、ただ本人の脳の中で言語化できていないだけなんですよ。だからこそ本人以上にその人のインサイトを考え続けないと、マーケティングはうまくいかないし、強い組織にもなれない。
インサイトを考えるためぼくたちは、看護師向けのデジタルメディア制作時には、実際に看護師の方を社員として雇いましたし、脱毛サロンのデジタルメディアのグロース時には、実際に脱毛サロンを経営したりもしました。
コンテンツ制作に限らず、組織のメンバーコミュニケーションでもインサイトの深堀は同様に大事です。
コンテンツ制作のために脱毛サロンの経営ですか……!?
ムダ毛に対して一度も悩んだことがないおじさんが、脱毛を迷う女性に響くコンテンツを作れるわけないと思うんです。当事者からすると、インサイトを理解できていない記事は一目瞭然ですよね。「あ、この人なんにもわかってないな」と。
本人ですら気づいていないようなインサイトを言語化する上でのアドバイスはありますか?
分かったつもりになることが一番の敵だと思っています。インサイトを言語化するうえで大切なのは、スキルやナレッジよりも「前向きに疑う」スタンスですね。さっき言ってたことと今言っていることの話の辻褄が合わないなとか、ちょっとした違和感に気づいて、そこを深堀りできるかどうか。
100人いれば100通りのインサイトがある中で、それらを1つのコンテンツにまとめ上げることはとても途方のない仕事な気がしてしまいます……。「このユーザー像はこちらが勝手に作り上げた虚像なのではないか」「誰にも刺さらないものになってしまうのではないか」と私なら思ってしまうのですが、自分の感覚がズレないようにするポイントはありますか?
基本的にwebのコンテンツに完成はないと思っています。だから、もっと良い記事にするためにはどうしたらいいか?どうしたらより多くの人に伝わるんだろう?というのをずっと考えています。
web上のCVR(コンバージョンレート)は高くても約5~10%なので、90%~95%の人には読み飛ばされていますよね。そのことを自覚し、インサイトを完全に捉えられていないという前提に立って、改善をし続けています。
ここまでのお話で、ヒトのことを本当に真摯に考えていることが伝わってきました。これが理想だとは思いつつも、仕事をしていくなかで「ビジネスだから」と変に自分自身を納得させて進んでしまいたくなることが多々ある気がします。
その点では、ぼくらとともに働く「インターン生の存在」が大きいですね。キュービックにはインターン生が150名ほど在籍しています。社員が少しでも妥協したり、イケていないコンテンツを作ると、キラキラした曇りのない目で「これってユーザーの何に役立つんですか?」なんて聞いてくれるんですよ。そういったことを臆せずに言ってくれる学生たちがいることで、ぼくらとしてもコアバリューをぶらさずに進んでいけているのかな、と思います。
デジタルマーケティングの分野では、効率や生産性ばかりがフォーカスされがちです。しかし、あまりにその姿勢が行き過ぎてしまうとユーザーの人生を壊すコンテンツを生みかねません。嘘をついて商品を売ったり、間違った知識を広く届けることも出来てしまう。コンテンツを見るのは生身の人間だということは絶対に忘れてはいけません。だからこそ、ぼくらは不器用でも誠実なメンバーを集めています。
では最後に、キュービックを通してではなく、“世一さんご自身が”成し遂げたいことがあれば教えてください。
ぼくがやりたいことと会社としてやりたいことは100%一致しています。もちろん、プライベートで旅行に行きたいな、みたいな願望はありますけどね。
人生かけてやりたいと思うことが他に見つかったなら、もうとっくにそれを始めているでしょう。
いまは「キュービックでやっていること」がまさしくぼくの成し遂げたいことなので、突き詰めて前進していくだけですね。
経営者としての1回目の転機となった社員さんの娘さんが最近20歳になったと報告を受けたこと、インターン生に深夜、飲み屋に呼び出されて向かったら、数分後にお会計を渡されたこと、そんな話をする世一さんの笑顔が印象的なインタビューでした。
ただ優しくするのではなく、ひたすらにその人に向き合い考え抜くということ。これは簡単なことではなく、ときに厳しく果てのない道のりかもしれませんが、一人の人間として大切にしていかなければならないことだと強く感じました。
『ヒト・ファースト』というコアバリューをぶらさず、デジタルメディアにとどまらない挑戦を続けるキュービック社と世一さんの活躍が楽しみです。
文:小坂彩
編集:賀来重宏/杉山美和
写真:キュービック様提供