2020年、デザイン会社として初の東証マザーズ上場を果たした株式会社グッドパッチ。離職率が40%を超える組織崩壊から再生を遂げた代表取締役社長 土屋尚史さんに、いまの行動原理を伺ってきました。
マクロな視点が中心になるかと思いきや、肝心かなめはむしろ「いかにミクロな行動を徹底するか」でした。
従来のデザインへの誤解を解き、デザインの価値を証明する会社でありたい
今回の取材にあたり土屋さんのnoteやSNSなど、隅から隅まで拝見して気づいたことがひとつありまして、意外とデザインについてはあまり語られていないですよね。デザイン会社の代表がデザインについてあまり語らない、そのギャップが気になっていたのですが、意識的に触れないようにしているのですか?
好きなことを素のままツイートしているだけなんですが(笑)でもたしかにデザインについてだけ熱弁するのは避けていますね。実際、Twitterでは、デザイン関連よりも経営関連といったリストに追加されることが圧倒的に多いですね。
……!!「デザイン会社」と呼んだのは失礼だったでしょうか?
いえいえ、グッドパッチはデザイン会社です。ただ、デザインだけでビジネスの課題をすべて解決できるとは思っていません。従来のデザインよりも幅広い領域で、経営やエンジニアリングなどと組み合わせた新しい価値を提供しているんです。その点で、他のデザイン会社とはデザインの定義が違うかもしれませんね。
デザイン単体だと提供できる価値に限界があるということですね。しかし会社のミッションは「デザインの力を証明する」だと思うのですが、どこか矛盾しているような……?
デザインの領域をどうとらえるか次第ではあるんですが、デザインの仕事をしているからこそ、デザインが正しく評価されていない現実を知っています。
世の中には、外からの評価が実際の価値よりも低く見積もられている仕事があります。デザインもそのひとつで、サービス設計のフェーズのうち、最後の最後に形を整えるだけの仕事と思われてきました。
最近になってデザイン思考やコミュニケーションデザインという考え方が広く知られるようになりましたが、たしかにデザインと聞くとビジュアルデザインを思い浮かべる方が多い気がします。
日本ではとくにその印象が強いと思います。ですが本来はもっと上流――ビジュアルデザインだけではなく、ユーザーの課題を深層まで潜りプロダクトの価値がどこにあるかを抽出するところ――から、それを形に落とし込むまでがデザインの役割なんですよね。顧客やユーザーにとっての価値を見つけて正しく届けるのがデザインの本質です。
だからこそグッドパッチではデザイナー1人だけをアサインするような仕事の依頼は基本的に受けていません。チームを組んで上流からデザインを軸に支援する、ぼくらがそれを徹底することがデザインの価値を上げられると信じているからです。
なるほど、その仕事の受け方やチームでのアサインというやり方もまさに「デザインの価値を証明する」というところに通じているのですね。
そうですね。グッドパッチではそれぞれ得意分野を持つデザイナーがチームを組んでいます。
そもそもデザイナー1人で行う仕事には限界があることは起業前から感じていて、自分で作る会社では個人事業主の集まりのような組織にはしたくなかったんです。デザイン×経営、デザイン×エンジニアといった得意分野の掛け合わせでチームを組み、ビジネスの上流から関わった方がクライアントの本質的な課題解決につながります。
よく言われる「はやく行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」という話とも近いですね。ただでさえ比較的独立をしやすい印象のあるデザイナーで、加えて上流の戦略から考えられるスキルがあると独立する方も出てきませんか?しかもグッドパッチにはアントレプレナーシップを身につけるための「アントレパッチ」という社内の事業家育成プログラムもありますよね。
独立していく人は少ない方だとは思いますね。ちなみにアントレパッチでは、自分が持っているものを超越して機会を追い求める姿勢を身につけることを目的としています。アントレプレナーシップは起業家精神と訳される言葉ですが、起業しろというメッセージでは使っていないんです。
多くの人はなんとなく自分の仕事の領域を意識していて、その中だけで仕事をしているのではないでしょうか。ですが、コンフォートゾーンを出た他領域との掛け合わせの中で独自性が生まれるし、自身の成長もそこにあります。この姿勢は会社のバリューにも「Go beyond(領域を超えよう)」として落とし込まれていて、大切にしている価値観です。
アントレパッチは、デザインと他の要素が組み合わさってビジネスが回っているのだというのを理解しビジネスの全体像を捉える場になるといいなと思って続けていますね。
あと独立する人はぼくがなにを言おうと独立するだろうし、であればむしろ力になりたいという気持ちもあります。目先の見返りは何も期待してないですが、中長期で見れば結果的に何かしらプラスで返ってくるんじゃないかな。独立や転職をした先で「元・グッドパッチです」と名乗ってくれればそれだけで最高です。
経済合理だけで経営をしない。経済非合理にポジションを置いて得られるもの
土屋さんのnoteなど拝見していても、これまでのお話を伺っても、土屋さんはビジョン・ミッションを心のそこから大事にしている印象を強く受けました。
もし、ぼくが会社を売却したら同じビジョンとミッションを掲げる会社はもう現れないかもしれない。Goodpatchは絶対になくしてはいけない会社で、社会にとって必要な会社になるはずだ。という想いがどんどん強くなりました。
その時に売却という選択肢は捨て、IPOへの覚悟を決めました。
先ほどお話ししたようにデザインの仕事が過小評価されているとか、デザイン業界に対して大きな課題を感じています。デザイナーの中には、デザインの価値を低く見積もられる環境下で「デザインって本当はそうじゃないのに」と悔しい気持ちを持っている人も多いんです。ビジョンの「ハートを揺さぶるデザインで世界を前進させる」、ミッションの「デザインの力を証明する」を突き詰めることで、そういったデザイナーにとっての希望になりたいし、この業界の課題に向き合いたい。
ただ、当然外向きに掲げているだけではダメで、大切なのはデザイナーがグッドパッチに入社した後もその理念への共感度が下がらないこと。つまり、ビジョン・ミッションに紐づいた経営をするということです。
たしかに理念に共感して入った人であればなおさら、実態が伴っていないと感じると冷めてしまいそうです。具体的にお伺いしても良いですか?
たとえば、グッドパッチではReDesignerというデザイナー特化のキャリア支援サービスを行っています。言ってしまえばデザイン内製化のお手伝いなので、既存事業のクライアントを減らすことになり、利益相反するようにも見えます。
ただ、デザイナーが全員グッドパッチで働くべきだとも思わないし、デザインをやるうえで他にもいい企業はたくさんあります。一方でデザイナーの気持ちがわかり、かつその人が活躍できる環境を見極められる人って、すごく少ないと思うんですよ。ReDesignerではデザイナー特有のマインドセットやスキルを理解して、企業へ紹介します。
自社の売上だけを考えると経済的には非合理なんですが、それをやるのがデザイン業界の価値向上につながると信じています。
説明できない非合理な意思決定って強い意思がないとできないんですよね。そういった非合理な意思決定だからこそ、「この人は本当にデザイン業界を本気で良くしたいと思ってるんだな」ということがメンバーにも伝わるんじゃないかな。
言行一致が信頼関係につながる
経営理念と事業が紐づいていることや、普段のメンバーとの接し方から会社の姿勢が垣間見えること、そういった言行一致は大切にしていますね。
特にデザイナーは社会をよくするとか、社会的に価値のあることに携わりたいとか、そういう人が数多くいるので「口ではきれいごと言っているけど、やってることは全然違うな」というのはすぐに見抜かれると思いますよ。
逆に理念と行動が結びついていれば、メンバーにももっと会社のことを好きになってもらえるのかなと。
言行一致……。言うは易く行うは難し、ですね。社内コミュニケーションでも言行一致を意識しているのでしょうか?
従業員を大事にするという点においても、グッドパッチでは細かいところまで徹底しています。例えばインタビュー記事が出るときやグッドパッチとしてリリースを出すとき、外のリリースで自社のことを知るって少し寂しくないですか?それがないように、事前に経緯や意図を社内向けに共有していたりとか。
たしかに自分の会社のことなのにニュースやSNSを見て初めて知るって、珍しいことではないけどちょっと寂しいです。
社員を第一に考えた経営をしているというのをメンバー自身が感じられるのって、そういうちょっとした日々のコミュニケーションまで行き届いてこそだと思うんです。逆に言うと、細かな言動を軽んじてしまうとカルチャーにほころびが生まれる。
たとえばフルリモート化も、社員の人命が第一だったので2020年の2月中ごろには完全移行していました。ほかの会社がリモートをためらうなか最速でその決断ができたことで、メンバーにとっては「社員やその家族のことを考えてくれているな」というのが伝わったのではと思います。
メンバーを信頼した経営ジャッジが、さらなる信頼につながっていくのですね。
経営陣こそ小さな一挙一動に気を配ろう
事業の話、マネジメントの話、どれを伺っても軸が通っていて、土屋さんの哲学がグッドパッチのすみずみまで浸透しているのがよくわかります。ぜひ社内の人材育成についても教えてください。
まず、新入社員には入社後5時間の研修をしています。会社の歴史や理念の説明、過去の失敗について全部話すようにしていますね。
5時間!?録画ではなく毎回ライブでやっているのですか?
はい。他の会社では録画ビデオを見せるだけで終わるケースも多いかなと思います。ただ、映像とリアルでは伝わる熱量が全然ちがうんですよね。これも非合理なのでどれくらいのリターンがあるのかは計算できないんですけど、確実にリアルのほうがより長くメンバーの心に残る実感はあります。
あと、細かい話は覚えていなくても「入社したての自分のために、社長が5時間も時間を割いている」ということが大事で、それ以上のリターンなんてなくてもいい。
人材育成自体、リターンの可視化が難しいのは認めますが、それにしても社長自ら5時間かけるというのは上場している規模の会社では聞かないですよね。
この話をすると「耳が痛いからその話は外でしないでくれ」って他の経営者の方に言われますね(笑)あまりに非効率で珍しい取り組みだからこそ、グッドパッチのカルチャーとして差別化できるんですよね。
Giveの精神でやっていても、グッドパッチとして領域を超える仕事をするのにちゃんとつながっていそうですね。すべてのアクションが経営理念と結びついているからなんだなあ。
ここまで言行一致を徹底できる会社は少ないのではとも思います。
どこを効率化して、どこをあえて効率化しないかというのは今の時代においては非常に重要だと思っています。特に若い人ほど、経済合理だけではなく社会的価値ややりがいをドライバーにして働く人が増えていますからね。会社の姿勢が一挙一動にまで通っていないと、経済合理以外の軸を持つ人たちが定着しないというのがぼくの一つの考えです。
“諦めない”ことを決めて、時間軸を長く持つ。すると、どんな失敗も通過点になる。
組織崩壊を経たからこそ、ここまで強固なカルチャーを築けたのでしょうか?
考え方そのものは以前から変わっていないのですが、組織崩壊があったからこその部分もあると思います。
世の中、失敗そのもので企業や人の価値が決められることって少なからずあるじゃないですか。ぼくは失敗によって企業や人の価値は決まらないと思っているんです。失敗からどう立て直すかというところまで長期の視点を持つのがすごく大事で、正しい方向さえ向いていればどこかのタイミングで必ず取り返せるんですよ。
目の前の失敗だけに目がいってはいけないということですね。
ぼくも組織崩壊の渦中はつらかったですが、そもそも最初から「諦める」という選択肢を排除していたんですよね。なのでつらかったのは間違いないんですが、行動し続ければ状況は「必ず」改善すると思っていました。「1年やってだめだったから失敗」と判断する人もいるけれど、”諦めない”の1点さえ決めていれば、1年やってダメでもさらに1年やるだけです。撤退ラインを決めないということなので、まあこれも非合理ですよね(笑)
当時は創業者と従業員とで視点が異なる部分もあったと思いますが、ぼく自身がもともと考え方をぶらさないという思考体系を持っていたのかもしれません。30歳までに起業家になるというのも20代前半に決めていましたし。
おおお、これもまた言うは易く行うは難し、ですね(笑)
私は終わりが見えていればどんなに辛くても頑張れるのですが、終わりがないと耐え切れず逃げてしまうことがあります。ゴールが見えない中で走り続けるのって、土屋さんは辛くないんですか?
ぼくも組織崩壊当時は道筋が見えていたわけではなくて、暗いトンネルにいる感覚でした。「けっこうやってつもりだけど、まだだめ?」みたいな。だけど、壁にぶつかったときにそれに向き合うかどうかで人が決まると思うんです。壁があるのに逃げてても状況は悪化するだけですが、壁があることを認めて改善することを決めてしまえば、あとは行動するだけです。
その行動、土屋さんはどう具体的なアクションに落とし込んだのでしょう?
壁って、たいてい自分が原因なんです。グッドパッチの組織崩壊にはさまざまな問題がありましたが、要素分解するとセンターピンにあるボトルネックは経営陣、つまり自分たちが社員に信頼されていないことでした。まずは信頼回復のために社員100人全員と1on1をして、そこで教えてもらった課題1つひとつに対して地道にアクションをとっていきました。
自分の非を認めてボトルネックに真摯に向き合ったからこそ、経営側とメンバーとの信頼関係が改善できたのですね。いまのグッドパッチは経営側とメンバーが相互に信頼する関係になれたんですね。
離職率が40%を超えて毎月人が辞めていく会社に残り続けるって、相当勇気が必要ですよね?「お前もこんな会社辞めた方がいいよ」と周りから言われる中、残り続けてくれたメンバーもいて、その選択をしてくれたメンバーにはぼくは全力で報いたい。
それに、成長企業が一度つまずいてV字回復で上場までいく、その逆転の真っ只中にいるってめったに経験できないことです。その意味では、残ってくれたメンバーには価値ある経験を少なからず提供できているのかなと。まだまだこれからですけどね。
執筆しながら、選択のパラドックスの話を思い出していました。後悔すまいと数ある選択肢から選んだはずが、選択肢が多いほど選んだあとに「ほかの選択肢のほうが良かったのでは」と後悔が残り、人は不幸を感じやすいのだそうです。
初めからゴールにつづく一本道だけを見てそこに向かっている確信が持てれば、それ以外の道がどこに続いているかなんて関係ない。「ランチメニュー、やっぱりBセットのほうがおいしそうだった」「入社1年目のうちにあれをやってれば今頃……」などとタラレバに耽っていまの自分を否定してしまうくらいなら、あえて選択の余地を残さないほうがいまの自分を肯定できてずっと健康的なのかもしれません。
文:米田 早希
編集:下出 翔太/賀来重宏
写真:賀来重宏