北参道で大人気の食事処asatte。この近辺で定食ランチといえば多くの人がasatteを思い浮かべるほど、繁盛している人気のお食事処です。asatteの特徴といえば毎日一品の日替わり定食を提供、ホームページを持たず、午前10時過ぎにInstagramアカウントでメニューを告知するという、これまでの飲食業の型にはまらないスタイルでも話題です。
マーケティングや経営に少しでも触れている方であれば、この情報量だけでさまざまなことを思い浮かべるはず。
・廃棄率はかなり下がる
・仕入れも決まった品だけをまとめて仕入れられるので有利
・お客はすべて同じメニューのため素早く提供でき回転率を上げられる
・オペレーションが単純化できるので素人でも回せる、採用に困らない
などと、想像をすれば枚挙にいとまがありません。確実に確信犯な仕掛け人がいるに違いない。そう考えた私たちは早速取材の申し入れをしました。
しかし、取材後、これらの想像がほとんど覆されてしまいます。実はこのお店、本業ではリフォーム事業を手掛けている株式会社バターから2016年にスピンアウトしてできたお店でした。更に、2019年に夕食コースも選べる2号店asatte menuをオープン。そんな謎に満ちた株式会社バターの代表取締役、田中一央さんに話を伺いに行ってきました。
いつも私ども含め、弊社のスタッフが昼食メインでお世話になっております。頻度が高いスタッフだと週に数回はお伺いしていまして、料理はおいしく、内装も素敵で本当に最高だなと感じてます。
株式会社バターはリフォーム事業が本業ですよね。そんな中、選ばれた新事業は飲食というまったく異なる業界へのチャレンジかと思いますが、どういった経緯でこのような流れになったのかを聞かせてください。
ありがとうございます。素直にうれしいです。元々本業で携わっている分野を大きく分けると、住宅のリノベーション、物販店と飲食店、オフィスのリフォームをやっていて、それぞれが売り上げの約3割を占めています。リフォーム業だと飲食店を開業する寸前までは一緒にできていても、いざオープンとなったら離れることになるじゃないですか。
どうしてもその先を見てみたかったんです。それでなんとなく飲食店をやりたいなと思っていたんですけど、なかなか機会がなくてですね。
そんな時、前の事務所の窓から見える場所にカレー屋さんが入っているちょうど良さそうな物件があって、「あそこが空いてたら、お店にしたいな。」と社内で言い続けていたところ、本当に空いちゃって。
わっ!
信じられないでしょう。社長やるやる詐欺になってしまうし、もうお店やらなきゃフラグが立ちましたね(笑)
いや、でもちょっと待ってください。つまり、どんなお店にしたいかのコンセプトはずっと存在していたということですか?急に目ぼしい物件が空いたとしても結局お店の計画決まっていないと大変ですよね。
それはありました。毎日一品だけの定食屋さんというお店のコンセプトは、決めていましたね。ただ、物件は思った以上に小さくて、今の形になってしまった部分もあります。初めて入ってみたときは本当に「狭っ!」という感じでしたから、ちょっと本来の設計だとどうにもならないかもという心配はあったけど、まあそこらへんは勢いで始めたんですよ。
そうだったんですね!実は、初めてお店に入った時からコンセプトが目に留まっていました。どこから見ても穴がなさすぎるというか、全部が理に適っているんですよ。
例えば、最近飲食業界では土日休みがとれないからシェフを雇いにくくなっている背景があり、土日休みの飲食店が増えている流れがあります。asatteでは日曜が定休日で既にその流れを汲み取っていますし、あと一日一品って単純に仕入れも楽ですからすごく回しやすい体制だな、とか入る度に感心することが多いです。これは考えに考えてそうなったのか、それとも何か色々と試行錯誤した結果今の形が出来上がったのか、というのがすごく気になっていて。
こういうお店を作ると決めたのは、2つの理由があります。まず、現実問題として、今のasatteの近辺には食べるところが少ない。バター社内に若い人や結婚していない人が結構いて、そういう人はたいてい食事が偏ったものになりがちじゃないですか。asatteを社食として使ってもらってその問題を何とかしてあげたいな、というのを結構前から課題として持っていました。
建設業界ってかなり劣悪な仕事環境で、夜中の2時とか3時に仕事を終えて夜ご飯を食べるみたいな生活をしている人も少なくないです。ただ、その時間になるとチェーンのラーメン屋さんとか牛丼屋さんとかしかやっていなくて、じゃあ毎晩それでいいのか?ってなりますよね。
やっぱり社員が社食として使えそうな店であればいいな、というのが最初の出発点です。一品にしているのもそれが理由で、わざわざメニューを選ばなくてもちゃんとしたごはんが出てきて、「魚もちゃんと食べなさい」みたいな実家っぽい感じになってくれればいいなと。おせっかいな店です。
なるほど~!2つ目の理由はなんですか?
僕が関わっているデザインという業界は世の中のほとんどの人が接点を持っていない、すごく華やかな業界なんです。そもそもお店や家のデザインをする人って限られていますよね。そんな職業柄、いろんなものが気になって仕方ないのです。
僕が昔デザイン事務所で働いていたころに、ちょうど表参道ヒルズができて、表参道に沢山の人が集まっていたんです。事務所から外を見ているとファミレスには行列ができていて、向かい側のすごくお洒落でミシュランで星も獲得していたガレット屋さんはいつもガラガラだったんですよね。なんか、変じゃないですか?すごく美味しいお店なのにほとんど誰も来なくて、地元にもきっとあるだろうファミレスが人でいっぱいというのが。
さすがに、ちょっとおかしいですね。
その当時僕は25、26歳で、まだ今で言う「インスタ映え」とかはなかった時代です。そんな時に「表参道ヒルズができたぞ!」ってなると、千葉、埼玉、神奈川からも人がワーッと来たのはいいけど、「どこで飯食うんだよ問題」が当然発生するわけです。そこで多分「うーん、ガレットか…。ガレット???お、ファミレスあるじゃん!」という感じで皆がそっちに並んでいるのだろうなと当時思いました。
僕がやっているデザインという仕事ってどちらかというとこのガレット屋さんの方を作る仕事です。ただガラガラのガレット屋さんを見て、自分の仕事は多くの人を幸せにしているのだろうか?本当にごく限られた人たちしか満足させてられていないんじゃないだろうか?と気づいたんですよね。
レプリカジーンズのようなお店
自分の作品で結局誰が喜ぶのか、というのはクリエイターによくあるジレンマですよね。ちなみに、田中さんならどちらのお店の方に並んでましたか?
僕自身もまさにファミレスの方に並ぶタイプの人間です。お店のデザインを求めている人たちが世の中に何パーセントいるかわからないですけど、仮に5%ぐらいだったとして残りの95%って、多分表参道ヒルズに行ったよということを、今で言えばTwitterやInstagramにアップしたりするでしょうけど、お昼をファミレスで済ませたことをアップしないですよね、絶対に。そのあと家に帰ったら「あー、またやっちゃったな。」みたいな罪悪感に苛まれる感じになるんじゃないかなと思うんです。
そのファミレスがもう2ランクぐらい自分を満足させられるような存在だったら、きっとその人たちはもっと幸せになれるだろうなと思って。僕もお洒落な人間ではないので、デザインとかも向いてなかったし、じゃあその95%の一部でももっと幸せになりそうなのは何だ?と当時ずっと考えていたんです。で、これがasatteに実際繋がっているんですよ。
アパレル業界だと、パーティードレスがあったり、スウェットがあったり、それこそスーツだったり、場面によって着る服ってそれぞれみんなある程度持っているんですね。飲食では華やかなパーティードレスみたいなお店があって、もう一方でゴールデン街みたいなある種アミューズメント的なボロさのお店があって、なんか両極端ですよね。どっちもInstagramにアップする人はいるけど、そうじゃない95%の日常的な部分はあまりにもスポットライトが当たらなさすぎていて、僕はこれを捨て飯と呼んでいます。
捨て飯!
お腹が減ったから食べたけど別に誰にも言わない、「もう今日の飯は捨てる」という感じで。ただ、その「誰にも言わない」ところに実は裏表があってツラいなと思ったんですよ。歳とともにもう少し日常を豊かにしていきたいなと。
お腹は満たされたけど、心は少し寂しいというか。
はい、位置づけとして狙っていたのは「レプリカジーンズのようなお店」です。ジャージでもなくて、パーティードレスでもないレプリカジーンズって結構色んなところには履いていけるんですよね。そこら辺のスーパーへ買い物に行くときも履いてけるし、実はジャケットと合わせて着たらいい感じにセミフォーマルだったりもする。そのレプリカジーンズみたいなゾーンに当てはまる飲食店ってほとんどないので、そういうコンセプトのお店をつくりたかったんです。
献立の告知はInstagramのみで十分
わかりやすい!無頓着過ぎずお洒落すぎず、なおかつ日常に密着したお店ですね。
そういえば、公式ホームページがなくて、Instagramを使っていますよね?WEB業界の人間として、なかなか珍しいことで検索してもInstagramか食べログしか見つからないので、最初は「え?どういうこと?」という感じになってたんですよね。告知はInstagramだけにしているのは何故でしょう?
最初のイメージは給食みたいに2週間分の献立をわら半紙で店頭にぶらさげておいてやりたかったけど、これは運用上結構難しそうでした。雨にあたったら物理的に厳しいし、2週間先までの料理を固定すると、急に暑くなったときにもこってりしたもの出しちゃうみたいなことになる可能性があるので、無理があるなと気づいたんです。
色々考えた結果、毎日Instagramにアップすればいいじゃないかという結論になりました。それまではInstagramとかよくわからなかったですけど、ユーザーが多いのと食事との相性が良いので、これだ!という勢いでしたね。
勢いでしたか。実はそれもすごく理に適っているな、と思いました。Instagramだと撮った写真にハッシュタグと一言つけてすぐにアップできるし、今日の献立を気軽に投稿できる。お客さんはそれをチェックし、自分の食べたい料理かどうかを確認すればいいだけ。ウェブサイトがなくても特に困ることはありませんよね。これによってお店への期待値を事前にコントロールできます。
ちょっと話が変わりますが、スタッフさんはどうやって集めたのですか?特にasatteのように急にお店を開くと相当大変だったと思いますが、みなさん外から雇われているんでしょうか?
本業のメンバーでasatteで働いた経験があるのは唯一僕だけです。最初の頃はさすがに僕が何もやらないとまずいかなと思って、皿洗いをしてましたけど、それ以外は全員外からですね。実は、物件が決まっちゃったときにシェフが見つからなかったら本当にどうしようと焦りましたが、運よく知り合いの知り合いに料理人がいて、そのタイミングでこっちにきてくれたので、店長になってもらいました。すごく真っすぐな方でasatteみたいな企画ものもかなり得意だから、個人的にこだわりがある生姜焼き定食以外は僕の試食なしですぐにGOです。
ということは、毎日の献立を決めているのも店長ですか?
はい、一応その形にしてますね。「THE 定食」が根っことしてはあって、それに沿ってさえいれば基本的に任せています。定食というのは生活に密着したものなので、その形であり続けたいと思います。
そういえば、最近オープンした2号店asatte menu(アサッテ・ムニュ)では定食を出しつつ、方向性をちょっと変えていましたね。正直、夜のコース料理が登場して、ちょっとこれまでとのコンセプトが異なりすぎてて驚きました。新店舗をきっかけにちょっと違う方向に冒険していきたいという思いはありましたか?
はい、コース料理は僕がやってみたかったんですよ。1店舗目を出してから反省点や、気づきが多くありました。例えば、夜の7時にお客さんや取引先の人が来たときに、1時間打ち合わせしたあとに「じゃあご飯行きますか?」とかよくありますよね。その時ってどうしても一人1万円とか2万円とか、相手のお財布事情を想定しつつ、値段にかなり気を使いますよね。じゃぁ高い安いがあまり言われないような値段っていくらかなって考えたときに、一応8,000円くらいじゃないかと。その値段で収まるお店ってなかなかないので、それを作りたかったんです。
いやぁ、めちゃくちゃよくわかります…。おもしろい。ここもさすが課題を設定してからの入り方ですね。
もっといえば、「お腹の減り具合どうですか?」「あ、お酒飲みます?」「ワイン…赤?あ、白派ですか?」っていちいち探り合いもするじゃないですか(笑)。あれをどうにかしたかった。それも相手との関係性によって非常に面倒くさいときがある。でも、コースで全部最初から決まっちゃってて、好きも嫌いもなく食べたい人たちは結構いると予想していました。北参道には建築事務所やデザイン会社などの小さめの企業が多くて、少なくともその社長さんからのニーズはありそうだなと予測してましたね。
僕らの想像の斜め上です…。1号店はよく混み合っているから、てっきり新店舗は受け皿的なイメージで作ったのかと思ったんですよね。ということは、1号店・2号店ってやっぱり夜に来られるお客さんも属性が異なったりしますか?
そうですね。1店舗目はカウンター席がメインで大人数では若干入りづらいですし、夜1人でいらっしゃってその後お仕事に戻るケースも珍しくないのでお酒が出ることは少ないです。そこも2店舗目ではテーブル席を増やすことで変えたかったです。ちょっと恐ろしいところでもあるんですけど、飲食が面白いのは、「施策を打つとすぐ響いてくる」ことです。逆に響いてないとこれからも何もないし、何かやってみよう!と思ったらその日のうちに反応がくるんで、やっぱり面白いですね。
飲食の面白いところは、結果がすぐに出ること
本業の方とは真逆なイメージですよね。
まさに!本業の方はスパンが長くて、何かをやっても2年後とかに結果が出てくる感じで、飲食のそれとは全く違いますよ。でも両方楽しみながらやっていますね。オフィスも近いので、ちらと窓の外を見たら「今日も並んでるなー」って毎回嬉しくなりますし。
ちょっとうらやましいです。実際に異なる時間軸のビジネスを並行でやってみると何か発見もありそうですよね。例えば、飲食をやり出してから本業に響いたことってありませんか?
あります!お店を始めてから本業の方に飲食からのお仕事のご依頼がちょっとずつ増えてきました。あと単純に「飲食店やっているよね?」と言われて会話の糸口にもなりますし、その時は本当に飲食をやってよかったなと思います。
ちなみに、リフォーム事業をされているだけあって、asatteのインテリアや内装もバターさんが内製でやられてるんですかね?
新店舗はほぼほぼ僕がやりましたけど、1店舗目はうちの社員に僕がオーダーをしてやりました。イメージとしてはすごくカジュアルでそこはかとなく和風にして、とだいぶ曖昧なリクエストをしたんですよ(笑)。まあちょっといい意味で野暮ったくしたかったので、それが上手いこと受けたと思います。
暖簾もあったりして。
実は、最後まで暖簾の意味がよくわかりませんって言われましたけど(笑) 。いやー、でも暖簾はないとダメだって強く言い続けました。ただ、そこにもともと「味自慢」という文字をつけたかったんですけどね。
味自慢!今の「お食事処」の代わりに?
そうそう。でもそれは、色んな人から「やめたほうがいい」と言われて、結果的に封印となりました(笑)。まあ自分で無理やりにハードル上げてしまいますからね。グラフィックデザイナーの方も自分の作品と言いづらいし。
お店のデザインもそうですけど、食器もやっぱりこだわりがありましたか?僕らからすると北欧雑貨みたいな感じで、結果的に女性のお客さんも多くいらっしゃっている。そういう趣味の方が御社にいたりして?
食器に関しては僕と店長が買い集めていましたけど、あまりにいい食器だと食洗器にかけると割れるのであまりよくないんです。たまたま、食器を集めているときにメーカーさんが営業にきたんですけど、それがかなりいい感じだったので今はそれで揃えてますね。食器も含めてですけど、やっぱり日常よりも満足できないとなんだかつまらないですよね。そこは強く意識してますね。
これは間違いないです。よく思うんですけど、このお店のコンセプトって別に北参道近辺じゃなくてもどこでやってもうまくいきそうな気がします。今後は異なる場所での展開の予定などはありますか?
したいなという思いはあります。もともと2店舗目もここじゃなくて別のところでやろうと考えていたんです。ただ、駅に近くて大通りから来やすい場所、こういった条件にマッチする物件を探すのが大変で、結局近くにしました。ちょうど事務所も引っ越すことになったので、同じ場所にしましたけど、本業で別の場所に行くことが多く、常にアンテナを張っています。
でも、逆に増やし過ぎも良くないよなとも思ってますね。asatteに来るお客さんってそういう店舗が他にないから来ていただいているんじゃないかというのもありますし、もしasatteというお店が全国に70店舗ぐらいできてしまったとなると、最初から僕が与えたい満足度というか精神的な充足度とかが下がる気がするんですよね。結局チェーン店っぽくなっちゃうし、それもちょっと違うかなと思うから、同じシステムで全然関係ない素振りでお店を出すのがいいかな。
これからやりたい事業やお店のジャンルも考えているんですか?
お寿司屋さんをやりたいですね。それも1・2万円までいく高級店ではなく「THE寿司屋」という風にできたらいいなと思います。でも、握る人を雇うのはasatteの時よりもだいぶハードルが高そうですね。それが難しければパン屋さんにもチャンスがありそうです。ごくごく普通の「パン屋さんと言えばこれ!」という風にしたくて。硬かったり、高かったり、重さの量り売りだったりとかそういうことでじゃなくて、普通の町のパン屋さん。
まぁ、お寿司にしろパンにしろ、腹を満たすためだけに行くのではなく、何か別のもう一つのもので満足させたいコンセプトですね。上手いこと下から二番目のゾーンを狙って、より多くの人の毎日をより豊かにできたらなと。
普段リノベーション・リフォーム事業で活躍しつつ、飲食店経営への道を自らで開拓した田中さん。asatteを作った際にあえて高級店ではなく、なるべく沢山の人の思い出に残るご飯を食べてもらえるお店にしたかった意図に、「人」と「食」に対する思いが強く表れていると思います。
前段で記載したような我々が勝手に想定していた細かい戦略の上で成り立った事業ではなく、創業者が従業員や本業を思うが故にできた事業が、結果的に隙の無い戦略性を帯びた好例ではないでしょうか。
取材中に、お店の名前をどうして「asatte」にしたのか、理由を伺ったときに「特に何もない。なんとなく響きが良かった」と返されたのですが、どこか無意識に一度食べに行ってみたら明日も、せめて明後日にまた行きたくなるお店を作りたかったのではないかと、毎日午前10時過ぎにアップされるメニューを必ずチェックしている自分が思っています。もっと沢山の人たちの「社食」になってほしいお店ですね。
文:ヤン・フーゲンディック
編集:阿部圭司/賀来重宏
写真:賀来重宏