30年後に自分がどうありたいか。キャリアプランと市況を見据えて自分の強みを活かすコツとは|ホットリンク執行役員CMOの飯髙悠太さん

  • 関東

広告代理店や制作会社を経て、数々のWebサービスやWebメディアを立ち上げグロースさせてきた飯髙さん。TwitterなどSNSが大好き!と言葉通り、Twitterはツイート数12.5万超え(2019年04月時点)。今回は、ferret立ち上げに至るまでどのようなキャリアを歩まれ、ホットリンクへ転職した今どのようなことを実現していきたいか詳しくお伺いしてきました。

入社時に「いつ自分が辞めるか」交渉

アナグラム

ベーシックを経てホットリンクに転職されてから怒涛のメディア露出ですね。さすがエバンジェリスト。

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ベーシックからホットリンクへ転職した背景は飯髙さんご自身でnoteに綴られていましたね。これまでの経歴を振り返ると、何社ありますか?4~5社?

iitaka

現職含めると6社ですね。新卒では求人広告代理店で新聞の求人枠やマイナビなどを売ってたんですよ。本当はITに行きたくて、具体的には今や有名になっているベンチャー企業を目指していた。でも当時はリクナビやマイナビが覇権を握っていて学歴フィルターに思いきり弾かれて。

IT企業の内定はいただいたものの、丁度リーマンショックが起きて一考、今すぐITに行くより、これから人材が獲れなくなるだろうから今のうちに人材会社で営業を経験した方が良いなと内定辞退して秋採用で動き始めました。そしたら、もう求人がなくて(笑) 初めて新卒を取るオーナー企業に拾われたのがキャリアの始まりです。

4人同期がいましたが、お金が払えなくて入社1ヶ月に2人クビ。僕が辞めたときは入社時と比べて1/3まで人が減っていました。

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今では想像できないほどに人材系はあの頃どこも大変でしたね。見通しが立たないので誰も人を取らないから。

iitaka

ですね。まさに地獄絵図でした。とはいえ半年は頑張って、飛び込み営業やテレアポをがんがんやりましたね。結果、入社3ヶ月時点でチェーン展開している大手小売の全求人を受注できたんですよ。

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テレアポで?

iitaka

いえいえ。毎日、店舗に飛び込んで手紙つきの名刺を置いて行きました。3ヶ月続けてたまたま出てきた社員さんが人事のお偉いの方で『次は上司連れて来い』と言われて、こんな美味しい話、上司連れて行っちゃだめだと意図的に1人で行きましたね。

当時は求人といえばリクナビ・マイナビ・タウンワークくらいで、正直どこに頼んでも変わらないから全店舗分発注する代わりうちに集中してほしいとオーダーが来て受注。契約交わす紙には円マークが1,000万の桁までしか無くて、枠を超えたのはいい思い出です。ここで自分なりの実績が作れたので、そこから数ヶ月尽くしてから転職しました。

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そして2社目からITに来たと。決めた切っ掛けは?

iitaka

求人サイト経由ですね。もともと新卒の時に内定辞退した会社にもう一度話を聞きに行っていて新卒と同条件にはなるけどぜひ来てほしいと言われていました。

ただ、求人サイトで見掛けた『創業2年目!』『イケイケ感!』の訴求に負けました。当時は未経験の募集をしていなくて、僕は条件に満たないのでとりあえず社長に電話して会っていただけることになり『半年でトップ営業の売上成績超えたらマネージャーにしてほしい、駄目なら最低給与でいい』と交渉して入社しました。このとき23歳ですね。

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その頃からよく話を聞いていたけど、入社する時いつもその会社に交渉しているイメージがあります。凄いなぁと思ってみてました。

iitaka

入社前にはほぼしてますね。はじめに『何年後に辞めます』又は『このサービスを一番にして辞めます』と約束するんですよ。『◯年間でここまで成果だすので雇ってください』と。辞める期限を設ける理由は単純で、飽きっぽいという根本的な性格だというのを自覚しているのと、それを踏まえて縦軸を一個突き抜けて伸ばすよりは一定のルールが分かる引き出しをいっぱい持ちたい、その方が自分には向いているなと思っていたんです。ホットリンクに来た今は、ようやく縦軸を伸ばしていっているところですね。

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T型人材の逆だ!一定を超えると投資対時間効率が下がる話に近いかも。

iitaka

当時はやりたいことがなくて、このやり方になりましたね。

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下手すると無限に広げて全て中途半端になりかねないところ、やりたいことを見つけられたのはさすが強運の持ち主。

伸びている業界に張りながらやりたいことを都度探し続ける

アナグラム

2社目ではどんな業務を?

iitaka

営業として比較サイトとデジタル広告の販売してて、ここでかなりの売上が立ったので新規事業立ち上げを任せてもらいました。ただ、比較サイトが伸び悩んでいた時期に新規事業は売却しました。

その後は営業部に戻り、先駆けてソーシャルブログ(今はないです)を立ち上げて。2年ほど経って3社目はHivelocityに行きました。

当時あった「Hivelo Social Apps」を始めFacebookアプリ関連の責任者を任せてもらい、導入数はかなり伸びたんですがうまくマネタイズできなくて。

Facebookページ10,000件近くに導入されていたので『1年で30,000件にしてから辞めます』と交渉して入社。とある大手企業の代表の方がツイートしてくれて『こんな伸びるの?』と驚愕するほど爆発的に伸びてくれて、結果、導入数は110,000件近く(当時全Facebookページの約35%くらい)までいきました。

アナグラム

アプリは基本無料で提供していたんですか?

iitaka

基本は無料です。ロゴ消しやコマース連動など色々考えたんですが、課金してもらえませんでした。ただ案件数は伸びていて、若かったし純粋に楽しかったんですよね。ところが蓋開けてみたら課金してくれたのはほとんどが広告代理店。おかしいなと思ってたら、彼らがクライアントに50万円とかで卸して販売していたことが後から分かりましたけど(笑)
ファイナンスのリテラシーは身につけたほうが良いなと思い、1年3ヶ月働いてから4社目に移りましたね。

アナグラム

リサーチ系の会社ですよね。

iitaka

そうです。アンケートプラットフォームなどリリースしていました。2社目から継続してメディア立ち上げにも関わっていて、ここでもオウンドメディアを始めて10ヶ月で単月1,000,000Viewまで育てましたね。

3社目では1年で同じく単月1,000,000Viewまで伸ばしていたし、個人ブログも一番いいときで単月500,000Viewまでいった。複数のメディアやサービスのアドバイザーとして関わるようになり、そのご縁で5社目のベーシックへ入社するまで至りました。この時期はメディアだけじゃなくいくつかの会社のサービスにも関わっていました。

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ベーシック代表の秋山さんとは昔から知り合いだったんですか?

iitaka

そうですね。20代半ばでメディアが分かってマーケティングとセールスに理解がある人材を探していて僕に声が掛かり、彼の描く構想が面白かったので入社を決めました。その時も『2年半でマーケティング界隈の権威のメディアを超え、日本一に育てるまではやる』と表明しました。結果、数字上のKPIは1年半で達成したんですが、道すがらで課題も見えてきて。

アナグラム

課題?

iitaka

営業畑から色々な企業のマーケティングを見る機会が増えてきて、この界隈は初心者にとって足枷がありそうだなと思うようになったんです。だからこそferretはこれからマーケティングに関わるライト層に向けたメディアとして育てたかった。

そこから2年更新して、ferretを立ち上げた時は3人だったチームがferretOneと合わせると約50人まで膨らみ次第に組織づくりやチームビルディングに課題を感じるようになって。元々僕はベーシックに入社した感覚を持っていなくてferretを育てたい気持ちで来たので、組織まわりにはそこまで関心が強くなかったんですが、そこに興味が出てきて、常に組織を考えるようになって、今のferretと今の僕が目指すところが違うんだなって認識できたというか。

そういう葛藤を抱えている時に昔からお世話になっている方がホットリンクにいらして、3社目の頃からお誘いいただいて、3度目の正直じゃないですけど入社を決意しましたね。今回は他の会社は全然見ていないです。

ホットリンクでは裁量をもらえていて、チームの状態も良いし採用もすごくうまく回っています。基本、良い意味で好きにやってくれというスタンスなので、そういう意味ではめちゃくちゃ働きやすいですね。僕、組織づくり好きだったんだと気付きました。

アナグラム

試行錯誤した中で光を見出して現在に至ると。実際に興味のあることに飛び込んでみないことには本当に好きな仕事に出会うことはなかったでしょうね。

iitaka

Hivelocity入るまでは先ほども話した通り、今や有名になっているベンチャー企業に行きたかったんですよ。でも実際声かけてもらった時に、絶対行かない!と思いました。

アナグラム

え!

iitaka

『え!』ってなりますよね。その時はよくわからない思考が働いて、ずっと行きたかった会社が口説いてくるなら断ったほうが上だなと(笑)プライドですね。

iitaka

キャリアを何回か変えていった大きな理由は、新卒から大きな企業に属しているわけではないから一歩ずつステップを踏まないと上にはのし上がれないなと思っていたからなんですよ。

2社目から3社目へ転職した時は、純粋にFacebookやTwitterが好きなのに数ある事業の1サービスで携わる機会が無くてもどかしくて。あとは、ルールがそこそこあるリスティング広告やSEOに比べて当時のFacebookやTwitterは自由だったんですよね。僕たちの世代の方が接触時間多いし若いしこれなら勝てるなと計算して、ここに張ろう!と決めました。伸びている業界に張る、はかなり意識しましたね。

アナグラム

2013年頃のFacebookは無法地帯でしたね。いいね!はインドネシアから買う、途上国で広告回すとCPCがめっちゃ安くなる、とか。いいね!の9割以上を1いいね!/●円でインドネシアから買って数年後にペナルティを喰らってダメになった会社なんかもありました。

iitaka

実の所、はじめは僕も似たようなことやってしまったケースはありました。当時はエッジランクの概念が殆ど無くて、いいね!の割合が海外:日本=7:3とか。次第にセミナー登壇で表に出るようになって『本当にこれって正しいことなんだろうか?』と自分と向き合えるようになりましたね。そして建前の数字を追うのでなくしっかり本質的なことをやらないと思うようにもなりました。

ベーシックに行こうと決めたのはこれまで1業務として片手間でやっていたことを一回本業としてしっかりやりたかったから。営業は好きだし色々なマーケティングの手法に触れられて、かつメディアを1からグロースさせていける経験は中々無いと思って。あとは単純に優秀なマーケターを増やしたいっていう秋山さんの思想が好きだったから。

アナグラム

一歩ずつステップを踏まないと、と先ほどありましたね。トップに立ちたい思いは強い?

iitaka

やるなら負けたくないですから。でも、ベーシックに入社してferretが一番になった時に1人の限界を知りました。ここから先に行くには、組織を作ることを考えないとビジネスは最大化されないなと気付いたんですよ。なにかあっても自分でやればいいや、という気持ちから、誰かを頼ることを知れたのはすごい有難かった。

ちなみに、ホットリンクに入社する時は、唯一、辞める時期考えてないです。これまでは入社する時から自分でゴールを決めていたけれど、今回はそれが無い。初めて色んな制約を取り払って、周りの事も俯瞰的に見られるようになったかもしれません。過去は自分が成果を出すと決めた領域以外頼まれてもやろうとしなかったから。

今は他事業部のリファラル採用とかもやっていて、ああ楽しいなと思えています。

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これまで一匹狼に近かったのに、今回は初めて全うな願望というか組織に向き合うように変わったと。

iitaka

そうかもしれません。僕の記憶が正しければ、会社で給与の交渉はこれまで一度もしたことないです。『これだけの成果を上げているならどのくらいの給与がふさわしいか考えてほしい』、と。結果、それが僕に与える対価なら良いかなって。ホットリンクも雇用契約書にサインした時に初めて自分の給与知りました。

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イイハナシダナァ

飯髙式・転職の思考

iitaka

これまでは辞める期限は決めますが次に行く領域は固めていないことが殆どで、働きながら『次はこういう場所に行きたいな』と考えています。あと、年に1回、3日間かけてキャリアプランをまとめます。30年後に自分がどうありたいか。これを毎年やるので、見比べると『次はこっちに行ったほうがいいぞ』が見えてくる。ここで選択しますね。

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やりたいことはぶれるものですかね?

iitaka

僕の場合はですが、結構変わりますね。その時の自分の感情も加味します。自分がどういう時に幸福を感じるかは毎年書いていて、この価値観は毎年けっこう変わりますね。

アナグラム

毎年、自分自身と向き合い、その時の思考や感情を可視化して残しておくことで去年と違う自分になっていることを体感できると。

飯髙式・ハングリーさとチームワークを使い分けるマインドセット

iitaka

若い頃はギラギラしていて『全員蹴落として1番になってやる』気持ちが強かったですね。ここだけの話、他の営業マン宛に受注の電話が来たら『居ません』といって自分の案件にしていました。だから絶対一番に電話取ってましたね。入社してから半年で僕が業績1位になったんですけど、実は案件横取りしていたという。

アナグラム

いや、早いもの勝ちは大事ですね。勝つために何をしたら良いか、それを考えるべき。例えばリードのお問い合わせに対して、公平性を重視して1時間待つよりも先に手を挙げた人が対応返したほうが問い合わせした側も手を挙げた側も良いに決まっている。勝つために自分は何をしたらいいか、それを考えるべき。

まぁとはいえ、そういうギラギラした強さとチームワークはトレードオフですよね。

iitaka

今は誰に案件振り分けよう、とバランスを見れるようになりました。

僕の原動力はコンプレックスなんです。地元の友人たちは証券会社とかに就職して、26歳位までどうしても年収で勝てなかった。組織の中のポジションで見ると自分が一番偉いし、多分一番考えてるし、でも年収が超えられない。なんで?みたいな憤りはありました。お金も豊かさも絶対超えてやる、みたいなハングリーさで20代前半は生きていました。

学生時代はサッカー一筋で勉強する時間があまり無くて受験もしたことがなかった。そんな僕は、勉強はできないけれどサッカーで教えられたことは誰よりも出来るんですよ。ひたすら走り抜くとかね。で、孤高に走り抜けてきたけど、今こうしてチームで仕事するようになって、そういえばサッカーってチームワークだったなあと思い出してきた。

1人でシュートしようとしていたけれど、元々パス派だったなとか。どうパスを出そう、とそういう気持ちに戻れた。なので、今はすごい幸せですね。人に任せる、寄り添うことを思い出せたのはすごい大きな成長です。

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それは信頼できる人に出会えたから?

iitaka

僕の気の持ちようですね。昔は心のどこかで信用出来ていなかったんだと思います。これまでの僕のキャリアを振り返ると、ゴールだけ示されて過程は好き勝手にやっていいよ、という働き方が殆どだったので、ある程度自由さは許容しつつ一定の最低限のルールは用意して信頼して良いんだな、と分かってすごい楽になりましたね。自分の感情が理解できて、セルフコントロール出来るようになった。

アナグラム

自由とルールはセットですよね。片方だけで成り立つものではないと思います。

iitaka

おっしゃるとおり。まぁ、僕は完全に自由にしたいタイプですが。ただ、上長が考えている事を聞きたいときも勿論ありますよ。僕はあくまでこういう考え方だけど、あなたはどうですか?と。やはり議論はしたいし、しないといけないですよね。今は任せていただいていますが、中長期的に今持っている荷が重くなった時、棚卸しできる組織にしていきたいなと強く感じています。

マーケティングの定義は探している真っ最中

アナグラム

これからやっていきたいことは?

iitaka

ホットリンクでは今Twitterマーケティングのコンサルティング周りでありがたくも沢山ご相談をいただいている状況なので、ここから具体的な事例を数多く作っていきたいですね。

あとは、Twitterが盛り上がっているのは日本だけで、グローバルを見据えた時にどこに張るか探したり今後どんなプロダクトを作っていくかは模索しています。ULLSASを伝えたとしてそれだけでマーケターが楽になるわけではないので。

ホットリンクではセミナーを定期的に開催していますが、ここは僕登壇しないです。僕が話すのは口コミ、つまりUGCを生み出してくれる人達に向けて。ホットリンクのセミナーに来てくれるのは誰かが口コミした結果来てくれた人。これを意識的に分けると結果が全然違ってきます。

それと僕個人の思想では、ベーシック時代に代表の秋山さんが掲げていた『日本に良いマーケターを輩出する』から今離れているのはちょっと落ち着かないかもしれない。今後、そういうことも関わっていきたいですね。

界隈を見ていると、点と点しか見えていなくて、もっと全体を見たほうが良いのになと思うこともあったり。マーケターってそれで名乗って良いんだっけ?とか。

アナグラム

いわゆる部分最適だけで考えている人は必ず限界が来ちゃうし、マーケターとは到底言えないですよね。よく全体を見ろ、という話はうちでもよくしてます。部分最適だけには価値はほとんどありませんからね。

iitaka

惜しいなと思うのは、なにか改善しなきゃ!と在るものベースの思考のマーケターが多く、ちょっと横を見たら、いくらでもいい案は落ちているのに誰も拾わない。それはもったいない。

アナグラム

運用型広告を例に挙げると予算が100万円をそのまま均等配分で運用しようとするけれど、本質はそこじゃないよねと。これは例ですが、最初の15日間で100万円近く使い切ったとしても、例えばCPAが目標より抑えられてて獲得&売上に繋がっていればビジネス上問題なく、実は売り上げが上がり続けるのであれば予算に上限はないかもしれない。また、ボトルネックは広告ではなく、フォームの改修やビジネスそのもの、もしくは物流なのかもしれない。一歩も二歩も先を見据え、部分最適ではなく、常に全体最適の思考で動けるのは、10人に1人位ですかね。

iitaka

Google広告に100万円、Yahooに50万円などと、媒体別に予算が決まっている場合も、一番獲れる媒体を見極めてポートフォリオ変えるべきですよね。だって、絶対『ありがとう』てなるじゃないですか。確認して待っている時間が勿体無い。お互いWin-Winになるなら何も問題ないはずだから。もし駄目だったら、その場合にはそういうやり方をしないだけ。自発的に動くことが大事ですよね。

アナグラム

マーケターに限らず、これまでのキャリアを振り返って飯髙さんが大事にしていることはありますか?

iitaka

本を読むことは僕にすごく影響を与えてくれました。本って凄いですよね。1冊に著者の人生や学んだ全てがぎゅっと詰め込まれている。僕は読んで満足するタイプではないので、インプットしたことを実行するまでのスピード感は大事だと思います。

僕、本を破くんですよ。好きなページ。失敗や困難って結構共通項があったりするので、破いたページを専用の箱に入れて月に1回その時の悩みごとに関係するトピックを覗きに行きますね。

あとは、やっぱり素直なことが一番ですよね。信頼できる方に本を教えてもらったら、他の積読ぜんぶどかして真っ先に読む、とか。マーケターからは逸れるかもしれないけど、仕事で大事なのはそういうことだけだと思います。

アナグラム編集後記

飯髙さんは2019年4月からホットリンクの執行役員CMOとしてご活躍されています。経営側とのやり取りがよりスムーズに出来るようになり、ここから更にホットリンクを盛り上げて行けそうだと終始笑顔に溢れた取材でした。

今回は飯髙さんのご経歴と思考法にフォーカスしてお話を伺いましたが、キャリアの見定め方ひとつから日々戦略的な意思決定をされている飯髙さんの思考回路をひしひしと感じます。『入社先の会社へ事前交渉』『毎年キャリアプランをまとめる』などは転職の思考法にとどまらず、ビジネス上で応用できる戦術だなと学びになりました。

印象的だったのは、企業に属しながら複数メディアのアドバイザリーも務めつつ独立しない理由。『マーケティングの領域に限定するとたくさん失敗できる経験はすごく大切で、自分のお金だと使える金額は限られているけれど企業に属すると桁が増えてレバレッジきいた事が出来る。これを活かさない手はないし、企業の魅力です』と失敗を許容してくれる環境の有り難さを説いていただきました。

直近の試みではTwitter上でメールマガジンが話題になり「ホットリンク メルマガ」でTwitter検索をかけるとUGCの数がものすごい事になっていますね。

まだまだ仕込んでいく予定とのことで、今後の仕掛けも楽しみです。

文:高梨和歌子
編集:阿部圭司/ヤン・フーゲンディック
写真:ヤン・フーゲンディック